2010年07月07日
隆明の時事考現 6
6. 悪因縁を切って正道を……
人には人の夫々(それぞれ)の生き方が有る。色んな生き方が存る。その人に合った人生が在る。
然し、人の道は一つである、生まれ出て死する迄誰もが歩む、誰もが歩まねばならない正しい道、真実の道は唯一つである。唯一の道、それが人道である。
獣道ではない。どんな生き方でも良いが、道を外してはならない。道を外せば外道であり獣道であり、魔道である。
“子が親を殺す”という所業は、どんな理由があろうとも外道中の外道であり、間違いなく地獄に落ちる。人は親無くして生まれて来ない。どんな親であろうと、その親でなければ、その子は生まれて来ない。他の親では、その子ではない他の子として生まれて来る。その子はその親でしか生まれて来ない、他の誰とも違う個性を持って生まれて来るのだ。故に、その子はその両親に感謝しなければならない。産んで呉れた丈でも大感謝なのである。産んで呉れなければ此の世に存在しない。影も形も無く、喜怒哀楽の感情も無い。
どんな親でも、子は産んで呉れた丈で感謝しなければならない。どんな育てられ方でも子は親に感謝しなければならない。
尊敬と感謝は違う。幾ら感謝はしても、尊敬出来ないものは出来ない。尊敬出来ないのは親だからといって無理に尊敬してはならない。軽蔑に価するものは軽蔑しなければならない。感謝に尊敬が伴えば言う事はない、最高である。幸福である。
所が、感謝はしても尊敬出来ない親もいる。子供にとっては不幸である。だからといって嘆いてもいられない。親を反面教師として、又、バネにして正道を、真実の道を歩けば、自ずとそれが感謝であり恩返しになる。そういう子の姿を見て、そういう子の恩を享けて、我が生き方を反省し我が子に感謝し、正道を歩き出せば大成功である。最高の恩返しである。
どんな事があっても、親を恨み、憎んではならない。どんな仕打ちをされても、親に手を挙げてはならない。ましてや“殺す”という感情や行為は言語道断、絶対にあってはならない事である。畜生にも劣る外道であり、地獄に落ちる。悪い因縁は自分の代で切り、消して了わねばならない。そして正道を歩み、素晴らしい家庭を築き、次代を子に託し人生を全うしなければならない。
人には人の夫々(それぞれ)の生き方が有る。色んな生き方が存る。その人に合った人生が在る。
然し、人の道は一つである、生まれ出て死する迄誰もが歩む、誰もが歩まねばならない正しい道、真実の道は唯一つである。唯一の道、それが人道である。
獣道ではない。どんな生き方でも良いが、道を外してはならない。道を外せば外道であり獣道であり、魔道である。
“子が親を殺す”という所業は、どんな理由があろうとも外道中の外道であり、間違いなく地獄に落ちる。人は親無くして生まれて来ない。どんな親であろうと、その親でなければ、その子は生まれて来ない。他の親では、その子ではない他の子として生まれて来る。その子はその親でしか生まれて来ない、他の誰とも違う個性を持って生まれて来るのだ。故に、その子はその両親に感謝しなければならない。産んで呉れた丈でも大感謝なのである。産んで呉れなければ此の世に存在しない。影も形も無く、喜怒哀楽の感情も無い。
どんな親でも、子は産んで呉れた丈で感謝しなければならない。どんな育てられ方でも子は親に感謝しなければならない。
尊敬と感謝は違う。幾ら感謝はしても、尊敬出来ないものは出来ない。尊敬出来ないのは親だからといって無理に尊敬してはならない。軽蔑に価するものは軽蔑しなければならない。感謝に尊敬が伴えば言う事はない、最高である。幸福である。
所が、感謝はしても尊敬出来ない親もいる。子供にとっては不幸である。だからといって嘆いてもいられない。親を反面教師として、又、バネにして正道を、真実の道を歩けば、自ずとそれが感謝であり恩返しになる。そういう子の姿を見て、そういう子の恩を享けて、我が生き方を反省し我が子に感謝し、正道を歩き出せば大成功である。最高の恩返しである。
どんな事があっても、親を恨み、憎んではならない。どんな仕打ちをされても、親に手を挙げてはならない。ましてや“殺す”という感情や行為は言語道断、絶対にあってはならない事である。畜生にも劣る外道であり、地獄に落ちる。悪い因縁は自分の代で切り、消して了わねばならない。そして正道を歩み、素晴らしい家庭を築き、次代を子に託し人生を全うしなければならない。
つづく。
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17:54
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2010年06月30日
隆明の時事考現 5
5. スポーツは戦争ではない!
“親が子を殺す”という大惨事、有ってはならぬ出来事である、どんな理由が有っても、有ってはならぬ行為である。然し、もっともっと非道いのは子が親を殺す、という行為。
此の考えられない惨事も昨今、数々(しばしば)起きている。嘗(かっ)て、此の様な事件が起きた時は、日本中を震撼させたものだ。日本中、何処へ行ってもその事件の事で持切りであった。驚きと怒りと嘆きに日本中が震えたものだ。我が事の様に、近親者の如く反応したものである。そんな恐ろしい事が平気になっている今、我々は一体何(ど)うなっているのだろうか。
斯(こ)ういった事件が多過ぎて麻痺して了ったのだろうか。斯ういった事件が耳目に飛び込んで来ても「へーえ」「又か」と反応する丈で、何秒か先には忘れ、話題にもならない。
一番大切なものを喪失しつつある人間が、今一番関心があるのはサッカーである。
南アフリカで開催されているW杯サッカーに日本中が湧いている。世界が興奮している。
初の“ベスト8”を懸けてパラグアイとの決戦に夢中になり、寝不足もなんのその、湧きに湧いて……敗れ、現実へと戻っていく。
現地まで三十時間も掛けて応援に行く熱心なサポーター達…仕事を休んでまで観戦に行く彼等は、余程裕福なのであろう。余程平和なのであろう。幸福な人達である。
世の中は今、世界のあちこちで天災人災が氾濫(はんらん)し、国と国、人と人との関係が壊れつつある。今に共生共存の秩序も無くなり、人々は我が身を護る為に形振(なりふ)り構わず行動し、やがて無法地帯の国があちこちに出現するだろう。
スポーツでの国と国との戦い、その勝敗にこだわる人間の欲は、単なるスポーツの域を越え、勝つ勝つ絶対に勝つ!勝たねばならぬという精神は、人と人、国と国との戦い、実戦の下敷きとも云える。来る日のシュミレーションの様な不気味さを様している。スポーツという名の代理戦争である。
スポーツは戦争ではない。勝敗にこだわらず、全力を尽くして技を競い、終わればお互いの努力と技を讃え合う。素晴らしい人間交流、人間成長……これが本当の、これが本物のスポーツなのである。
スポーツ観戦に沢山お金を使える人はその中の一部で良い、災害に遭って困っている人達の為に使って頂き度い。
“親が子を殺す”という大惨事、有ってはならぬ出来事である、どんな理由が有っても、有ってはならぬ行為である。然し、もっともっと非道いのは子が親を殺す、という行為。
此の考えられない惨事も昨今、数々(しばしば)起きている。嘗(かっ)て、此の様な事件が起きた時は、日本中を震撼させたものだ。日本中、何処へ行ってもその事件の事で持切りであった。驚きと怒りと嘆きに日本中が震えたものだ。我が事の様に、近親者の如く反応したものである。そんな恐ろしい事が平気になっている今、我々は一体何(ど)うなっているのだろうか。
斯(こ)ういった事件が多過ぎて麻痺して了ったのだろうか。斯ういった事件が耳目に飛び込んで来ても「へーえ」「又か」と反応する丈で、何秒か先には忘れ、話題にもならない。
一番大切なものを喪失しつつある人間が、今一番関心があるのはサッカーである。
南アフリカで開催されているW杯サッカーに日本中が湧いている。世界が興奮している。
初の“ベスト8”を懸けてパラグアイとの決戦に夢中になり、寝不足もなんのその、湧きに湧いて……敗れ、現実へと戻っていく。
現地まで三十時間も掛けて応援に行く熱心なサポーター達…仕事を休んでまで観戦に行く彼等は、余程裕福なのであろう。余程平和なのであろう。幸福な人達である。
世の中は今、世界のあちこちで天災人災が氾濫(はんらん)し、国と国、人と人との関係が壊れつつある。今に共生共存の秩序も無くなり、人々は我が身を護る為に形振(なりふ)り構わず行動し、やがて無法地帯の国があちこちに出現するだろう。
スポーツでの国と国との戦い、その勝敗にこだわる人間の欲は、単なるスポーツの域を越え、勝つ勝つ絶対に勝つ!勝たねばならぬという精神は、人と人、国と国との戦い、実戦の下敷きとも云える。来る日のシュミレーションの様な不気味さを様している。スポーツという名の代理戦争である。
スポーツは戦争ではない。勝敗にこだわらず、全力を尽くして技を競い、終わればお互いの努力と技を讃え合う。素晴らしい人間交流、人間成長……これが本当の、これが本物のスポーツなのである。
スポーツ観戦に沢山お金を使える人はその中の一部で良い、災害に遭って困っている人達の為に使って頂き度い。
つづく。
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17:54
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2010年06月14日
隆明の時事考現 4
4. 不幸の連鎖を断ち切らねば……
人を想う気持と優しさを知らない人間は、子を育てる事は出来ない。育てられる筈もない。育てる方法も術(すべ)も知らない人が子を産めば、その子は不幸になる。親の愛を受けずに生きるのだから、幸福な人生を送れる訳がない。
これは不幸の連鎖である。親の愛に恵まれず育った子は、大人になって結婚し、子を成しても愛し方を知らないから、自分の親と同じ事、自分が受けた仕打ちを我が子にして了う。恐ろしい連鎖である。何処かで此の連鎖を断ち切らねばならない。
連鎖には二通りの連鎖がある。不幸の連鎖と幸福の連鎖。
環境の良い境遇に恵まれた子は、スクスクと育ち、やがて幸福な結婚をし、我が子にも溢れんばかりの愛を注ぎ、その子も同じ幸福の連鎖を造る。
幸福の連鎖は、それに甘んじる事なく、人への想いをどんどん広く、どんどん深くしなければならない。思い上がったり怠けたりしていると、何時の間にか不幸の連鎖へと落ちて行く事になる。
不幸の連鎖は、それに嘆く事なく腐る事なく、どうすれば幸福の連鎖に向かう事が出来るかに、真剣に取り組まねばならない。
不幸の環境にいる時は、幸福の環境を見る。幸福の環境とは何(ど)ういうものなのか。何処が違うのか、何う違うのか――が分かって来れば、次に、何うすれば良いのかが判って来る。
非道い親の元に育った子は、素晴らしい親の元に育った子に接し、その和やかさや優しさを勉強する。その子の親に接し、何故素晴らしいかを勉強する。良いお手本として見習い、自分もそう成れる様に心掛け、努力する。
不幸に負けてはならぬ、不幸の連鎖を断ち切らねばならない。
斯(こ)ういう親になってはならない、と駄目親を反面教師として、不幸の連鎖、悪の連鎖から脱け出さなければならない。
又、親が子を虐(いじ)めたり殺したりするのとは逆に、子が親を虐めたり殺す、という惨事も頻繁に起きている。その報道に麻痺された日本人は、その多くが対岸の火事の様に日常を過ごしている。
一体、日本は何処へ行くのか、何処へ何処まで落ちて行くのか……
人を想う気持と優しさを知らない人間は、子を育てる事は出来ない。育てられる筈もない。育てる方法も術(すべ)も知らない人が子を産めば、その子は不幸になる。親の愛を受けずに生きるのだから、幸福な人生を送れる訳がない。
これは不幸の連鎖である。親の愛に恵まれず育った子は、大人になって結婚し、子を成しても愛し方を知らないから、自分の親と同じ事、自分が受けた仕打ちを我が子にして了う。恐ろしい連鎖である。何処かで此の連鎖を断ち切らねばならない。
連鎖には二通りの連鎖がある。不幸の連鎖と幸福の連鎖。
環境の良い境遇に恵まれた子は、スクスクと育ち、やがて幸福な結婚をし、我が子にも溢れんばかりの愛を注ぎ、その子も同じ幸福の連鎖を造る。
幸福の連鎖は、それに甘んじる事なく、人への想いをどんどん広く、どんどん深くしなければならない。思い上がったり怠けたりしていると、何時の間にか不幸の連鎖へと落ちて行く事になる。
不幸の連鎖は、それに嘆く事なく腐る事なく、どうすれば幸福の連鎖に向かう事が出来るかに、真剣に取り組まねばならない。
不幸の環境にいる時は、幸福の環境を見る。幸福の環境とは何(ど)ういうものなのか。何処が違うのか、何う違うのか――が分かって来れば、次に、何うすれば良いのかが判って来る。
非道い親の元に育った子は、素晴らしい親の元に育った子に接し、その和やかさや優しさを勉強する。その子の親に接し、何故素晴らしいかを勉強する。良いお手本として見習い、自分もそう成れる様に心掛け、努力する。
不幸に負けてはならぬ、不幸の連鎖を断ち切らねばならない。
斯(こ)ういう親になってはならない、と駄目親を反面教師として、不幸の連鎖、悪の連鎖から脱け出さなければならない。
又、親が子を虐(いじ)めたり殺したりするのとは逆に、子が親を虐めたり殺す、という惨事も頻繁に起きている。その報道に麻痺された日本人は、その多くが対岸の火事の様に日常を過ごしている。
一体、日本は何処へ行くのか、何処へ何処まで落ちて行くのか……
つづく。
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16:33
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2010年05月17日
隆明の時事考現 3
3. 日本程残酷な国はない
どんな動物でも母性愛がある。その愛は深く、親は子を守る為に命をも懸ける。何時でも子を護る為には自分を犠牲にする事が出来る。当り前の事である。
人間も勿論そうだ。人間も例外ではない筈だ。
なのに生まれた許りの赤ちゃんをトイレやゴミ箱に捨て去る母親がいる。事もあろうに不浄のトイレやゴミ箱にだ。汚ないものを捨てる所に自分の産んだ子を捨てるというのは、本当に不要で不潔の物として棄てるという事だ。
人間ではない。とても許せるものではない。悪魔の仕業としか言い様がない。
嘗(かっ)て、貧富の差が著しい時代があった。食うや食えずの貧窮の中にあって、止むを得ず、涙乍らに赤児の顔を布団で覆った母親。日本の各地で起きた「間引き」という子殺し、悲しい哀しい時代であった。愛する子を殺さなければならない。身を切られる思いで我が子の命を絶つという、此の上もない地獄……
今はそんな時代ではない。経済的な理由であれば、幾らでも子供を救ける方法はある。現に国や施設や親類や知人に依って多くの子が助かっている。
助かれば良いってものじゃないが、命を絶たれるよりは良い。その子は波瀾万丈の人生を送るだろうが、その不運がその子を逞しく育てる事もある。親が無くても子は育つという例えにある様に、どんな不遇であろうと、生きていれば必ず良い事もある。
人間は生まれて来た限り生きねばならない。殺されてはならない。
親は絶対子を殺してはならない。親の権利と義務を放棄しても良いが、子を殺す権利はない。絶対殺してはならない。必ず天罰が下る。その罪は重い。取り返しがつかない。何回生まれ変わって来ても、その罪は永遠に消えない。何度生まれて来ても、殺されたり不遇の人生を送る。因果応報、良きも悪しきも全て自分に還るのである。
何故、今人間は一番大事な“愛”を育む事が出来ないのか。世界的に蔓延している人間愛の欠落……。特に日本は酷い。親が子を殺すという行為は世界のあちこちで起きてはいるが、日本程頻繁な、残酷な国はない。最低である。最悪である。命の尊さを知らない人間に子を生む資格はない。子を産んではならない。
どんな動物でも母性愛がある。その愛は深く、親は子を守る為に命をも懸ける。何時でも子を護る為には自分を犠牲にする事が出来る。当り前の事である。
人間も勿論そうだ。人間も例外ではない筈だ。
なのに生まれた許りの赤ちゃんをトイレやゴミ箱に捨て去る母親がいる。事もあろうに不浄のトイレやゴミ箱にだ。汚ないものを捨てる所に自分の産んだ子を捨てるというのは、本当に不要で不潔の物として棄てるという事だ。
人間ではない。とても許せるものではない。悪魔の仕業としか言い様がない。
嘗(かっ)て、貧富の差が著しい時代があった。食うや食えずの貧窮の中にあって、止むを得ず、涙乍らに赤児の顔を布団で覆った母親。日本の各地で起きた「間引き」という子殺し、悲しい哀しい時代であった。愛する子を殺さなければならない。身を切られる思いで我が子の命を絶つという、此の上もない地獄……
今はそんな時代ではない。経済的な理由であれば、幾らでも子供を救ける方法はある。現に国や施設や親類や知人に依って多くの子が助かっている。
助かれば良いってものじゃないが、命を絶たれるよりは良い。その子は波瀾万丈の人生を送るだろうが、その不運がその子を逞しく育てる事もある。親が無くても子は育つという例えにある様に、どんな不遇であろうと、生きていれば必ず良い事もある。
人間は生まれて来た限り生きねばならない。殺されてはならない。
親は絶対子を殺してはならない。親の権利と義務を放棄しても良いが、子を殺す権利はない。絶対殺してはならない。必ず天罰が下る。その罪は重い。取り返しがつかない。何回生まれ変わって来ても、その罪は永遠に消えない。何度生まれて来ても、殺されたり不遇の人生を送る。因果応報、良きも悪しきも全て自分に還るのである。
何故、今人間は一番大事な“愛”を育む事が出来ないのか。世界的に蔓延している人間愛の欠落……。特に日本は酷い。親が子を殺すという行為は世界のあちこちで起きてはいるが、日本程頻繁な、残酷な国はない。最低である。最悪である。命の尊さを知らない人間に子を生む資格はない。子を産んではならない。
つづく。
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16:55
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2010年05月10日
隆明の時事考現 2
2. 日本絶滅の暗示
戦勝国アメリカは、焦土と化した敗戦国日本を占領し、統治下に置いた。天皇制日本は、いとも簡単に、いとも素直に、それを受け容れた。鬼畜米英と罵った相手に媚びを売ってまで従った。日本は完璧にアメリカの属国と化したのである。
民主主義、合理主義を受け容れた日本は、その長所・利点の恩恵を授かり、目覚しい発展を遂げて来た。凄まじい迄の成長――そして、現在。たった六十余年で経済的にも文化的にも世界のトップと並ぶ存在となった日本……。
だが其処には、その過程には大きな大きな落とし穴があった。それは真逆様に落ちていく、底の無い地獄の穴である。
民主主義、合理主義の恩恵を受けた日本は、その代償として一番大事なものを失くして行ったのである。拝金主義に歯止めが効かなくなった日本は、マネーゲームに溺れ、そのバブルの崩壊に依って、失くしたものに気付く。取り返しの付かないものを無くして了ったのである。この侭だと地獄の辛酸を舐める時代が続き、やがて日本は崩壊する。破滅する。
利益優先は、人々をどんどん“欲”の世界へ誘い、金金金と金が一番大事なもの、金さえ有れば何でも叶えられると信じ込ませて行く。金の為には手段を選ばぬ輩が、バイ菌の如く繁殖し、世の中を百鬼夜行、魑魅魍魎、修羅の場と化して行く。
そして、今…。
利己主義、自己中心、自分さえ良ければ他人はどうでも良い。一にも二にも三にも自分、自分が最高の人間になり度い、と自己愛の頂点へ登り詰めようとする。それが浅ましい、醜い、人間として、否動物としても最悪の姿である事を知りもしない、知る由もない、現代日本の風潮……嘆き、悲しむ価値もない日本人がどんどん増えている。
一方で、愛に満ちた人も仲間を増やしつつある。ボランティアのネットワークは地球規模で拡がっている。この輪がどんどん大きくなって、恐ろしい悪魔を撲滅しなければならない。
地獄の悪魔は身内を食い潰す。親が子を子が親を、夫が妻を妻が夫を殺し、家族の破壊と家庭の崩壊は、どんどん突き進む。
日常茶飯事の殺戮は日本の絶滅を暗示している……
今日も又、何処かで家族が殺し合っている……
戦勝国アメリカは、焦土と化した敗戦国日本を占領し、統治下に置いた。天皇制日本は、いとも簡単に、いとも素直に、それを受け容れた。鬼畜米英と罵った相手に媚びを売ってまで従った。日本は完璧にアメリカの属国と化したのである。
民主主義、合理主義を受け容れた日本は、その長所・利点の恩恵を授かり、目覚しい発展を遂げて来た。凄まじい迄の成長――そして、現在。たった六十余年で経済的にも文化的にも世界のトップと並ぶ存在となった日本……。
だが其処には、その過程には大きな大きな落とし穴があった。それは真逆様に落ちていく、底の無い地獄の穴である。
民主主義、合理主義の恩恵を受けた日本は、その代償として一番大事なものを失くして行ったのである。拝金主義に歯止めが効かなくなった日本は、マネーゲームに溺れ、そのバブルの崩壊に依って、失くしたものに気付く。取り返しの付かないものを無くして了ったのである。この侭だと地獄の辛酸を舐める時代が続き、やがて日本は崩壊する。破滅する。
利益優先は、人々をどんどん“欲”の世界へ誘い、金金金と金が一番大事なもの、金さえ有れば何でも叶えられると信じ込ませて行く。金の為には手段を選ばぬ輩が、バイ菌の如く繁殖し、世の中を百鬼夜行、魑魅魍魎、修羅の場と化して行く。
そして、今…。
利己主義、自己中心、自分さえ良ければ他人はどうでも良い。一にも二にも三にも自分、自分が最高の人間になり度い、と自己愛の頂点へ登り詰めようとする。それが浅ましい、醜い、人間として、否動物としても最悪の姿である事を知りもしない、知る由もない、現代日本の風潮……嘆き、悲しむ価値もない日本人がどんどん増えている。
一方で、愛に満ちた人も仲間を増やしつつある。ボランティアのネットワークは地球規模で拡がっている。この輪がどんどん大きくなって、恐ろしい悪魔を撲滅しなければならない。
地獄の悪魔は身内を食い潰す。親が子を子が親を、夫が妻を妻が夫を殺し、家族の破壊と家庭の崩壊は、どんどん突き進む。
日常茶飯事の殺戮は日本の絶滅を暗示している……
今日も又、何処かで家族が殺し合っている……
つづく。
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17:09
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2010年04月20日
隆明の時事考現 1
1. 古今東西、地球の人間という物は戦いが好きで、戦う為に生きている、という愚かな生き物である。勝った敗けたに燃え、生き甲斐を持つ愚者が何時の世にも少なくない。
その愚者が、平和を望む優しい人民を巻き込み、戦争へと突入する。
地球の何処かで必ず起きている戦争。平和なのに退屈なのか、その戦争にチョッカイを出したり、参加したりする国もある。
放って置けば良いのだ。放って置けば疲れて、やがて鎮静する。介入すれば余計火が付いて、喧嘩はどんどん大きくなる。大きくなれば無関心だった国までが、放って置けなくなり遂には、世界的な大戦争となって了う。
戦い度い奴は戦い度い同志、何処かの島で思う存分戦えば良いのだ。何の罪もない、武器も持たない老人や婦女子までターゲットにして殺して了う、戦争とは一体何なのだ。何の為に戦争をするのだ?
嘗(かつ)て戦争と云えば国の為、国や家族を護る為に外敵と戦うという、大義名分が有った。それが少数の、征服欲や名誉欲という闘争の悪魔に操られている事に気付かず、愛国心と正義という名に踊らされた人民の不幸である。
人心は単純で弱い。国の為、家族の為というキーワードを唱えられると、戦い度くもないのに戦地に赴いて了う。悪魔に騙されてはならぬ。
罪悪感を持たず人を殺せる、寧ろ名誉であるというマインドコントロール…。
戦争は怖ろしい、最悪の不幸である。と思っていたが、もっと怖ろしいものが有った。
日本が戦争に敗けて六十余年、敗戦の中から懸命に這い上り、成長を遂げて来た日本。不況の波に呑まれても耐え忍び、それを乗り越えて来た日本、世界の経済大国となった日本……。
だが、其処には大きな落し穴があった。大きな不幸があった。戦争の悪魔より遥かに巨大な、怖ろしい悪魔に蝕まれていたのである。
これは、日本国全てを食い潰して了う、恐ろしい怖ろしい悪魔である。
それは、既に我々の身の周りを食い散らし、やがて――我々を襲う。
その愚者が、平和を望む優しい人民を巻き込み、戦争へと突入する。
地球の何処かで必ず起きている戦争。平和なのに退屈なのか、その戦争にチョッカイを出したり、参加したりする国もある。
放って置けば良いのだ。放って置けば疲れて、やがて鎮静する。介入すれば余計火が付いて、喧嘩はどんどん大きくなる。大きくなれば無関心だった国までが、放って置けなくなり遂には、世界的な大戦争となって了う。
戦い度い奴は戦い度い同志、何処かの島で思う存分戦えば良いのだ。何の罪もない、武器も持たない老人や婦女子までターゲットにして殺して了う、戦争とは一体何なのだ。何の為に戦争をするのだ?
嘗(かつ)て戦争と云えば国の為、国や家族を護る為に外敵と戦うという、大義名分が有った。それが少数の、征服欲や名誉欲という闘争の悪魔に操られている事に気付かず、愛国心と正義という名に踊らされた人民の不幸である。
人心は単純で弱い。国の為、家族の為というキーワードを唱えられると、戦い度くもないのに戦地に赴いて了う。悪魔に騙されてはならぬ。
罪悪感を持たず人を殺せる、寧ろ名誉であるというマインドコントロール…。
戦争は怖ろしい、最悪の不幸である。と思っていたが、もっと怖ろしいものが有った。
日本が戦争に敗けて六十余年、敗戦の中から懸命に這い上り、成長を遂げて来た日本。不況の波に呑まれても耐え忍び、それを乗り越えて来た日本、世界の経済大国となった日本……。
だが、其処には大きな落し穴があった。大きな不幸があった。戦争の悪魔より遥かに巨大な、怖ろしい悪魔に蝕まれていたのである。
これは、日本国全てを食い潰して了う、恐ろしい怖ろしい悪魔である。
それは、既に我々の身の周りを食い散らし、やがて――我々を襲う。
つづく。
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2010年03月16日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 24
24. 鉄火肌姐さんは、今も健在で…
スナック“あじさい”には、全国からファンが遣って来る。九州からツアーを組んだ会社ぐるみ。名古屋から毎月一度遣って来る、愉快な社長夫妻。浅草の粋な社長夫妻。渋谷のヤマちゃんやトーチャンとは、示し合わせて“あじさい”で落ち合うという仲になった。
元世界チャンピオンのボクサーや、現役の横綱さん、有名な歌手等も時たま顔を出す。皆一様にママの崇拝者である。
星野千春は幸福者である。人に慕われるという、最高に贅沢な財産を持っている。サービス業という仕事に誇りを持ち、誰彼の区別なく、誠意を以て接するその姿は、正しく達人である。ママのサービス業は天職である。大いなる天の加護を享けて、スナック“あじさい”は益々繁昌する事だろう。
「ママは何時迄スナックやる積り?」と、莫迦な質問をしてみた。
「そうだね。人間は明日ってものが分からない。だから、明日より今日が大事なんだ。今日頑張ってれば、明日死んでも良いもんね。明日死んでも良い今日にしなきゃね。だから、生きてる中は“あじさい”で頑張ってると思うよ。そいで死んだら、黄泉(よみ)の国へ行って、そこで亦“あじさい”やるだよ、アハハハ」何と云う達観。
「そりゃ良いや、どう見ても俺らの方が先に逝(い)くから、向こうで一等地を見付けといてやるだ。安心してゆっくりおいで」
「有難さん。黄泉の国の目抜き通りでやりゃ、またまた“あじさい”大繁昌だ。カンペイしよう」
「しようしよう」
カンペイ!! 完敗。
以上で「あじさい物語」は終わりです。これは平成元年(1989)に出版した私著「TATUJIN」の中から抜き出しました。
その後の“あじさい”は平成二十二年の現在、目抜き通りから少し離れた自宅を兼ねて営業している。“あじさい”もママも健在である。
私も年に何度か草津に行くが、必ず“あじさい”に行き地元の人達とバカ話をするのが楽しみの一つである。
千春ママは、六十を過ぎた今も若々しい。美貌に円熟味を増し、口も益々滑らかで、一日一日を颯爽と生きている。
群馬の山奥の鉄火肌姐さん――千春ママさんの物語でした。
スナック“あじさい”には、全国からファンが遣って来る。九州からツアーを組んだ会社ぐるみ。名古屋から毎月一度遣って来る、愉快な社長夫妻。浅草の粋な社長夫妻。渋谷のヤマちゃんやトーチャンとは、示し合わせて“あじさい”で落ち合うという仲になった。
元世界チャンピオンのボクサーや、現役の横綱さん、有名な歌手等も時たま顔を出す。皆一様にママの崇拝者である。
星野千春は幸福者である。人に慕われるという、最高に贅沢な財産を持っている。サービス業という仕事に誇りを持ち、誰彼の区別なく、誠意を以て接するその姿は、正しく達人である。ママのサービス業は天職である。大いなる天の加護を享けて、スナック“あじさい”は益々繁昌する事だろう。
「ママは何時迄スナックやる積り?」と、莫迦な質問をしてみた。
「そうだね。人間は明日ってものが分からない。だから、明日より今日が大事なんだ。今日頑張ってれば、明日死んでも良いもんね。明日死んでも良い今日にしなきゃね。だから、生きてる中は“あじさい”で頑張ってると思うよ。そいで死んだら、黄泉(よみ)の国へ行って、そこで亦“あじさい”やるだよ、アハハハ」何と云う達観。
「そりゃ良いや、どう見ても俺らの方が先に逝(い)くから、向こうで一等地を見付けといてやるだ。安心してゆっくりおいで」
「有難さん。黄泉の国の目抜き通りでやりゃ、またまた“あじさい”大繁昌だ。カンペイしよう」
「しようしよう」
カンペイ!! 完敗。
以上で「あじさい物語」は終わりです。これは平成元年(1989)に出版した私著「TATUJIN」の中から抜き出しました。
その後の“あじさい”は平成二十二年の現在、目抜き通りから少し離れた自宅を兼ねて営業している。“あじさい”もママも健在である。
私も年に何度か草津に行くが、必ず“あじさい”に行き地元の人達とバカ話をするのが楽しみの一つである。
千春ママは、六十を過ぎた今も若々しい。美貌に円熟味を増し、口も益々滑らかで、一日一日を颯爽と生きている。
群馬の山奥の鉄火肌姐さん――千春ママさんの物語でした。
次回へとつづく。
2010年03月08日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 23
23. 男は女次第なんだよ…
翌年の春先。
A子が千春ママの家に、息を弾ませ飛び込んで来た。正装している。
「Tが迎えに来たの。これから東京に帰る」
「Tさん、何してるんだい。連れて来りゃ良いのに」
「私もそう云ったんだけど、恥ずかしくて逢えないんだって。バスターミナルで待ってる」
「そうかい。あの時は女だてらに云い度い事云って……謝まっといて呉れるかい」
「ママの啖呵、効いたみたいよ。半端と云われて相当口惜しかったみたい。未だ未だ半端だから見透かされるみたいで、逢うのが怖いんだって」
「ふーん。そんな事云ってるん。Tさん、もう大丈夫だね」
「有難う、ママ。Tはもう立ち直れないと思ってたから、嬉しくって……ママのお陰」
「あのね、A子ちゃん。あんたは男が非道(ひど)いからと云って、自分を悲劇の主人公にして逃げ捲(まく)って来たけど、男を一丁前にするのも、駄目にするのも女次第なんだよ。あんたが惚れた男だろ。逃げ出しちゃいけないよ。男が地獄に墜ちたら、あんたも地獄に墜ちな。何処迄も一緒に行かなきゃー。あんたも半端だったんだよ。二度と逃げ出しちゃいけないよ」
「うん……分かった。そうする」A子は別れを惜しみ乍ら、そそくさと帰って行った。その後の二人の消息は分からない。
斯ういった事は温泉で店を開いていれば、始終ある。始終あるので、普段は過去の事を忘れている。私に色々訊かれて想い出してる中に
「そうだねー。色々あったね」と、ママさん自体驚く程である。
駆け落ちして来た男女に、働き口を世話してやったら、その後で追い駆けて来た、男の奥さんに泣きつかれ、あちらを立てればこちらが立たずと大弱りした事や、東京から遣って来たという夫婦が、大盤振舞いをして、ママも大喜びで御馳走になっていたら、車に物を取りに行くと出て行ったきり、待てど暮らせど戻って来ない。店に残していった紙袋を開いたら、風呂桶と歯ブラシが一本出て来て、ズッコケた事や、珍談奇談がいっぱいある。
翌年の春先。
A子が千春ママの家に、息を弾ませ飛び込んで来た。正装している。
「Tが迎えに来たの。これから東京に帰る」
「Tさん、何してるんだい。連れて来りゃ良いのに」
「私もそう云ったんだけど、恥ずかしくて逢えないんだって。バスターミナルで待ってる」
「そうかい。あの時は女だてらに云い度い事云って……謝まっといて呉れるかい」
「ママの啖呵、効いたみたいよ。半端と云われて相当口惜しかったみたい。未だ未だ半端だから見透かされるみたいで、逢うのが怖いんだって」
「ふーん。そんな事云ってるん。Tさん、もう大丈夫だね」
「有難う、ママ。Tはもう立ち直れないと思ってたから、嬉しくって……ママのお陰」
「あのね、A子ちゃん。あんたは男が非道(ひど)いからと云って、自分を悲劇の主人公にして逃げ捲(まく)って来たけど、男を一丁前にするのも、駄目にするのも女次第なんだよ。あんたが惚れた男だろ。逃げ出しちゃいけないよ。男が地獄に墜ちたら、あんたも地獄に墜ちな。何処迄も一緒に行かなきゃー。あんたも半端だったんだよ。二度と逃げ出しちゃいけないよ」
「うん……分かった。そうする」A子は別れを惜しみ乍ら、そそくさと帰って行った。その後の二人の消息は分からない。
斯ういった事は温泉で店を開いていれば、始終ある。始終あるので、普段は過去の事を忘れている。私に色々訊かれて想い出してる中に
「そうだねー。色々あったね」と、ママさん自体驚く程である。
駆け落ちして来た男女に、働き口を世話してやったら、その後で追い駆けて来た、男の奥さんに泣きつかれ、あちらを立てればこちらが立たずと大弱りした事や、東京から遣って来たという夫婦が、大盤振舞いをして、ママも大喜びで御馳走になっていたら、車に物を取りに行くと出て行ったきり、待てど暮らせど戻って来ない。店に残していった紙袋を開いたら、風呂桶と歯ブラシが一本出て来て、ズッコケた事や、珍談奇談がいっぱいある。
つづく。
2010年03月07日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 22
22. 男は諦めて帰って行った――
そこへ予約の団体がドヤドヤと入って来た。雰囲気は一変する。地元の人達は陽気で、直ぐ唄になる。ママに乗せられて、どんどん盛り上がる。
カウンターのTさんは、帰り外(そ)びれたのか帰り度くないのか、淋しそうに居座っている。
その中、地元の人達が代る代る遣って来て
「あんたも唄おうぜ」
「唄いなよ」と、横に坐ったり肩を叩いたりするので、Tさん大弱り。
「Tさん、唄いなよ。人間、為(な)る様に成るわさ。陽気にやらなきゃ。唄いな」と、笑い乍らママさん。
Tさん、頭を掻き乍ら立って行き、マイクを取った。仲々上手い。野次(やじ)が飛ぶ。初めは元気が無かったが、漸々(だんだん)野次に反応する様になり、唄い終る頃には笑顔も見せる様になった。此の男、根は暗くない。素直な処も有って、何とか再生する見込みは有りそうだ。と、ママは思った。
唄い終ったTさん、カウンターに戻って来て
「ママ、帰る。いくら?」
「A子ちゃん、どうするん?」
「……」
「そうだね。今のあんたじゃ、無理矢理連れて帰っても、又同じ事になるね」
「……」
「あんたの事は毎日聞かされてるよ。A子ちゃん、あんたに惚れてるよ。大丈夫だよ。あんた、真当(まっとう)に働きゃ何十万と稼げる腕を持ってるんだろう。頑張りな」
「いくら?」
「いいよ、今度で」頭を小さく下げて、男は出て行った。
翌朝。
泊まっていた旅館を引き上げて、Tさんは東京へ帰って行った。
三日前から千春ママの家に隠れていたA子は、宿舎に帰って行った。
そこへ予約の団体がドヤドヤと入って来た。雰囲気は一変する。地元の人達は陽気で、直ぐ唄になる。ママに乗せられて、どんどん盛り上がる。
カウンターのTさんは、帰り外(そ)びれたのか帰り度くないのか、淋しそうに居座っている。
その中、地元の人達が代る代る遣って来て
「あんたも唄おうぜ」
「唄いなよ」と、横に坐ったり肩を叩いたりするので、Tさん大弱り。
「Tさん、唄いなよ。人間、為(な)る様に成るわさ。陽気にやらなきゃ。唄いな」と、笑い乍らママさん。
Tさん、頭を掻き乍ら立って行き、マイクを取った。仲々上手い。野次(やじ)が飛ぶ。初めは元気が無かったが、漸々(だんだん)野次に反応する様になり、唄い終る頃には笑顔も見せる様になった。此の男、根は暗くない。素直な処も有って、何とか再生する見込みは有りそうだ。と、ママは思った。
唄い終ったTさん、カウンターに戻って来て
「ママ、帰る。いくら?」
「A子ちゃん、どうするん?」
「……」
「そうだね。今のあんたじゃ、無理矢理連れて帰っても、又同じ事になるね」
「……」
「あんたの事は毎日聞かされてるよ。A子ちゃん、あんたに惚れてるよ。大丈夫だよ。あんた、真当(まっとう)に働きゃ何十万と稼げる腕を持ってるんだろう。頑張りな」
「いくら?」
「いいよ、今度で」頭を小さく下げて、男は出て行った。
翌朝。
泊まっていた旅館を引き上げて、Tさんは東京へ帰って行った。
三日前から千春ママの家に隠れていたA子は、宿舎に帰って行った。
つづく。
2010年03月06日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 21
21. 又、一肌脱がなきゃ…
男はコップに残っていたビールを一気に呷(あお)る。
「飲みっぷりが良いんだね」と云い乍ら、ママがビールを注ぐ。此の三十過ぎの男、どう見ても堅気(かたぎ)には見えない。といって、筋者(すじもの)の様に肚(はら)が据(す)わっている様にも見えない。ママには、此の男が何者か分かっていた。
「草津は寒いだろ。何処に泊まってるんかね?」
「……」
「あれま、機嫌が悪いね。怒ってるんかい」返事の代りに、男はビールをママに注ごうとする。
「有難さん」注いで貰ったビールを、スーッと一気に呑むママ。
「A子が世話になってるんだってな」
「………」
「連れて帰るから、此処へ呼んで呉れ」ママは黙った侭、男を睨(にら)み付ける。
「俺が大人しい中に連れて来いって云ってるんだよ!」と、凄んで見せる男。
「半端な男だね。そんなだからA子ちゃんに逃げられちまうんだ」咄嗟(とっさ)に男の手が、ビール瓶を逆手に握る。殆ど同時にママの手がその手を押え込む。
「何をしようってんだい! あんた、Tさんとか云ったね。此処は東京じゃないんだよ! Tさん、此の瓶を上にあげて御覧よ。あんた、此の草津から無事で出られないよ。女だと思って舐(な)めるんじゃないよ」男のビールを掴(つか)む力が強くなる。ママが手を離し、開き直る。
「そうかい。さあ、こんなチンケな店で悪いがやっとくれ。毀(こわ)されたって大したもんじゃない。やる限り、覚悟してやるんだね」
ママの気迫に気倒された男は、ビールから手を離し、暫く俯(うつむ)いていたが、のそっと立ち上がり、背を屈(かが)めて店内をウロウロ歩き出した。血走った眼でテーブルを睨んだり、ギョロギョロ店内を睨(ね)め回していたが、いきなり奥の壁に
「ウォーッ」と、叫び乍ら走って行き、ボカボカと壁を数回殴り
「コンチキショー!」と、怒鳴り乍ら、思い切り蹴飛ばした。
「オウオウ、元気いいじゃん!」と、ママが囃(はや)す。男は振り返り、ジーッとママを睨み付ける。ママは涼しい顔。張りが失くなったのか、男はスゴスゴとカウンターに戻って来る。
「A子を呼んで呉れないかなあ」と、情なさそうに呟く。
ママは“此の男、相当A子に惚れている。満更悪い男でもなさそうだ。又一肌脱がなきゃならないか”と、溜息を吐く。
男はコップに残っていたビールを一気に呷(あお)る。
「飲みっぷりが良いんだね」と云い乍ら、ママがビールを注ぐ。此の三十過ぎの男、どう見ても堅気(かたぎ)には見えない。といって、筋者(すじもの)の様に肚(はら)が据(す)わっている様にも見えない。ママには、此の男が何者か分かっていた。
「草津は寒いだろ。何処に泊まってるんかね?」
「……」
「あれま、機嫌が悪いね。怒ってるんかい」返事の代りに、男はビールをママに注ごうとする。
「有難さん」注いで貰ったビールを、スーッと一気に呑むママ。
「A子が世話になってるんだってな」
「………」
「連れて帰るから、此処へ呼んで呉れ」ママは黙った侭、男を睨(にら)み付ける。
「俺が大人しい中に連れて来いって云ってるんだよ!」と、凄んで見せる男。
「半端な男だね。そんなだからA子ちゃんに逃げられちまうんだ」咄嗟(とっさ)に男の手が、ビール瓶を逆手に握る。殆ど同時にママの手がその手を押え込む。
「何をしようってんだい! あんた、Tさんとか云ったね。此処は東京じゃないんだよ! Tさん、此の瓶を上にあげて御覧よ。あんた、此の草津から無事で出られないよ。女だと思って舐(な)めるんじゃないよ」男のビールを掴(つか)む力が強くなる。ママが手を離し、開き直る。
「そうかい。さあ、こんなチンケな店で悪いがやっとくれ。毀(こわ)されたって大したもんじゃない。やる限り、覚悟してやるんだね」
ママの気迫に気倒された男は、ビールから手を離し、暫く俯(うつむ)いていたが、のそっと立ち上がり、背を屈(かが)めて店内をウロウロ歩き出した。血走った眼でテーブルを睨んだり、ギョロギョロ店内を睨(ね)め回していたが、いきなり奥の壁に
「ウォーッ」と、叫び乍ら走って行き、ボカボカと壁を数回殴り
「コンチキショー!」と、怒鳴り乍ら、思い切り蹴飛ばした。
「オウオウ、元気いいじゃん!」と、ママが囃(はや)す。男は振り返り、ジーッとママを睨み付ける。ママは涼しい顔。張りが失くなったのか、男はスゴスゴとカウンターに戻って来る。
「A子を呼んで呉れないかなあ」と、情なさそうに呟く。
ママは“此の男、相当A子に惚れている。満更悪い男でもなさそうだ。又一肌脱がなきゃならないか”と、溜息を吐く。
つづく。
2010年03月05日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 20
20. 嬉しそうに語る顔が眩しかった…
Mちゃんは熱海にいると云う。今度はちゃんとしたバンドで、矢張りボーカルを遣らして貰っていると云う。
「借りたお金は必ずお返ししますから、もう少し待って下さい」
「バカ。あれは貸したんじゃない、あんたの門出の餞別だ。それより、怠けたら承知しないよ。頑張りな。草津の山から応援してる千春ママさんを忘れるんじゃないよ!」
それ以来、ずーっとMちゃんは音信不通だったが、つい先日、何と十年振りにMちゃんから電話が掛かった。今は九州にいると云う。歌は諦めたらしい。結婚して、自分で店を営(や)っていると云う。
どんな店を営っているのか、どんな奥さんなのか、子供は何人いるのかと、色々聞こうと思ったが、止めた。無事で、健康でいる事丈分かれば、充分であった。
草津は遠過ぎて行けそうもないが、九州に来るような事があったら、必ず立ち寄って欲しいとの事であった。
ママも、九州に行く事は一生無いだろうと思い乍ら、
「有難さん。そん時は必ず寄るよ」と、云ってやった。
「Mちゃんも幸福そうで良かったー」嬉しそうに私に語って呉れる千春ママの顔が、眩しかった。
こんな事も有った。開店して二年目の頃である。
十二月初旬。師走ともなれば観光客はめっきり減って、草津の街も暇になる。此の時期は、地元の人達の息抜きの期間である。昼間は各種の会合、夜は寄り合いで飲み会や忘年会と、地元一色になる。
その夜も、千春ママは宴会で座敷に出ていた。二次会を“あじさい”でやって呉れると云うので、お客さん達より一足先にお座敷を引いて、店に戻って来た。
カウンターに一人客が居て、留守番の妹が何時になく顔を硬張(こわば)らせている。
「このお客さんがママに用が有るんだって」
「あっ、そう。いらっしゃいませ。あ、あんたもう帰って良いよ」妹は不安気な顔をし乍らも、帰って行った。
Mちゃんは熱海にいると云う。今度はちゃんとしたバンドで、矢張りボーカルを遣らして貰っていると云う。
「借りたお金は必ずお返ししますから、もう少し待って下さい」
「バカ。あれは貸したんじゃない、あんたの門出の餞別だ。それより、怠けたら承知しないよ。頑張りな。草津の山から応援してる千春ママさんを忘れるんじゃないよ!」
それ以来、ずーっとMちゃんは音信不通だったが、つい先日、何と十年振りにMちゃんから電話が掛かった。今は九州にいると云う。歌は諦めたらしい。結婚して、自分で店を営(や)っていると云う。
どんな店を営っているのか、どんな奥さんなのか、子供は何人いるのかと、色々聞こうと思ったが、止めた。無事で、健康でいる事丈分かれば、充分であった。
草津は遠過ぎて行けそうもないが、九州に来るような事があったら、必ず立ち寄って欲しいとの事であった。
ママも、九州に行く事は一生無いだろうと思い乍ら、
「有難さん。そん時は必ず寄るよ」と、云ってやった。
「Mちゃんも幸福そうで良かったー」嬉しそうに私に語って呉れる千春ママの顔が、眩しかった。
こんな事も有った。開店して二年目の頃である。
十二月初旬。師走ともなれば観光客はめっきり減って、草津の街も暇になる。此の時期は、地元の人達の息抜きの期間である。昼間は各種の会合、夜は寄り合いで飲み会や忘年会と、地元一色になる。
その夜も、千春ママは宴会で座敷に出ていた。二次会を“あじさい”でやって呉れると云うので、お客さん達より一足先にお座敷を引いて、店に戻って来た。
カウンターに一人客が居て、留守番の妹が何時になく顔を硬張(こわば)らせている。
「このお客さんがママに用が有るんだって」
「あっ、そう。いらっしゃいませ。あ、あんたもう帰って良いよ」妹は不安気な顔をし乍らも、帰って行った。
つづく。
2010年03月04日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 19
19. 無事脱出に成功した…
Mちゃんは、その日から蛸部屋(たこべや)同然、雁字搦(がんじがら)めにされて了った。三度の飯は食べさせて貰えたが、給料は呉れない。二日か三日置きに、小遣いとして千円呉れる丈である。これでは逃げ出す事も出来ない。おまけにバンドの程度も低く、一流を目差しているMちゃんにとっては、マイナスにはなってもプラス材料は何一つ無かった。不平を云えば、殺されるんじゃないかと思う位、殴るは蹴るはの目にあう。
Mちゃんは困りに困って、千春ママに相談した。Mちゃんは、草津に連れて来られて一ヵ月目位で“あじさい”にジュースを飲みに来た。それ以来、週にニ、三度顔を出し、カウンターの隅でジュースを大人しく飲んで帰る。来ると、二時間程坐っている。
Mちゃんは、千春ママをお姉さんの様に慕っていたらしい。ママは、Mちゃんがカラオケで歌を唄うと、ジュース代を無料(ただ)にしてやった。
「Mちゃん、頑張りな。一生懸命生きてりゃ、人間悪い事許りじゃない。必ず良い事が遣って来る。その日を信じて、腐らず頑張りな、あんたは見込みがあるよ、私が保証する。だから怠けずに、毎日稽古に励みな」何時も塞(ふさ)ぎ込んで入って来るMちゃんに、ママの激励が飛ぶ。そうすると、見る見るMちゃんの目が輝いて来るのだった。
が、その日は違っていた。泣き乍ら入って来たMちゃんを、慰める方法は無かった。
「僕は今夜逃げ出す。あんなバンドで歌わされる位なら、死んだ方がましだ。殺されても良い、絶対バンドには帰らない」余程酷い目にあったらしい、Mちゃんの決意は固い。
「そうかい。あんたの人生だ、あんたが決めた事をあたしは兎や角云わないよ」
「ママ、一丁前に成ったら逢いに来るよ」
「うん。MちゃんがTVに出て来るのを楽しみにしてるよ。もう、旨い話に乗るんじゃないよ。それから、ほとぼりが醒める迄、東京に帰っちゃいけないよ、手が廻ってる筈だから。成可く遠くへ行くんだね」
ママはその日の売上を、そっくりMちゃんに持たせてやった。
翌日、バンドの連中が聞き込みに来たので、Mちゃんの無事脱出を知った。勿論、恍(とぼ)けてやった。
それから一ヵ月程経った、或る夜“あじさい”にMちゃんから電話が入った。
Mちゃんは、その日から蛸部屋(たこべや)同然、雁字搦(がんじがら)めにされて了った。三度の飯は食べさせて貰えたが、給料は呉れない。二日か三日置きに、小遣いとして千円呉れる丈である。これでは逃げ出す事も出来ない。おまけにバンドの程度も低く、一流を目差しているMちゃんにとっては、マイナスにはなってもプラス材料は何一つ無かった。不平を云えば、殺されるんじゃないかと思う位、殴るは蹴るはの目にあう。
Mちゃんは困りに困って、千春ママに相談した。Mちゃんは、草津に連れて来られて一ヵ月目位で“あじさい”にジュースを飲みに来た。それ以来、週にニ、三度顔を出し、カウンターの隅でジュースを大人しく飲んで帰る。来ると、二時間程坐っている。
Mちゃんは、千春ママをお姉さんの様に慕っていたらしい。ママは、Mちゃんがカラオケで歌を唄うと、ジュース代を無料(ただ)にしてやった。
「Mちゃん、頑張りな。一生懸命生きてりゃ、人間悪い事許りじゃない。必ず良い事が遣って来る。その日を信じて、腐らず頑張りな、あんたは見込みがあるよ、私が保証する。だから怠けずに、毎日稽古に励みな」何時も塞(ふさ)ぎ込んで入って来るMちゃんに、ママの激励が飛ぶ。そうすると、見る見るMちゃんの目が輝いて来るのだった。
が、その日は違っていた。泣き乍ら入って来たMちゃんを、慰める方法は無かった。
「僕は今夜逃げ出す。あんなバンドで歌わされる位なら、死んだ方がましだ。殺されても良い、絶対バンドには帰らない」余程酷い目にあったらしい、Mちゃんの決意は固い。
「そうかい。あんたの人生だ、あんたが決めた事をあたしは兎や角云わないよ」
「ママ、一丁前に成ったら逢いに来るよ」
「うん。MちゃんがTVに出て来るのを楽しみにしてるよ。もう、旨い話に乗るんじゃないよ。それから、ほとぼりが醒める迄、東京に帰っちゃいけないよ、手が廻ってる筈だから。成可く遠くへ行くんだね」
ママはその日の売上を、そっくりMちゃんに持たせてやった。
翌日、バンドの連中が聞き込みに来たので、Mちゃんの無事脱出を知った。勿論、恍(とぼ)けてやった。
それから一ヵ月程経った、或る夜“あじさい”にMちゃんから電話が入った。
つづく。
2010年02月18日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 18
18. ラッキーな滑(すべ)り出しだと思いきや……
温泉街……。そこに住み、そこに働き、そこに集まって来る人々……。色んな人がいる。色んな人生がある。
病気を治す為に来て、その侭(まま)住み着いた人。アルバイトで来て、本職となり、住民になった人。駆け落ちして来て、共稼ぎをし乍ら居着いた男女、旅の縁(よすが)に寄って、何となく定住した人。と、理由(わけ)ありの人達をあまり詮索せず受け容れて呉れるのも、温泉街の特徴である。
着のみ着の侭で飛び込んで来る人達に、堂々とした過去がある訳がない。嘘の履歴を嘘と百も承知で受け容れて呉れる。そういった好意を裏切って、使い込みや、無断で辞めて居無くなって了う人も沢山いる。そういう目に遭っても、温泉街の人達は驚かない。
「ああ、又か」「あの人も駄目だったか」と、自分達の被害を嘆かず、その人を哀れむ。又、温泉街に働く中、地元の人達の温情に心を打ち解け、心機一転、人生を遣り直す人もいる。草津の街も例外ではない。
自業自得に違いはない。が、温泉街に流れ着いた人達には、何の苦労もなく惰性の日常を送っている人達とは違った、哀愁が有り、人生の襞(ひだ)が有る。
私は草津の街が好きである。草津には掛け値の無い、垣根の無い人達が懸命に共存している姿が有る。
都会の虚栄と欲の中から、此の赤裸々な草津の郷にやって来ると、
「人生って良いなー」と、芯から思う事が出来る。
スナック“あじさい”も色んな事があった。開店当初、ホテルに半年契約で或るバンドが来ていた。その中に、ボーカルを担当していた十九才の少年、Mちゃんがいた。歌は上手いし、マスクは甘い。二枚目である。一寸神経質そうな、大人しい少年であった。東京出身で、十七才の頃から歌の勉強をし、プロを目差していた。Mちゃんの声は顔に正比例して甘く、ムード歌謡に持って来いの大人っぽい歌い方である。クラブ歌手向きの将来有望な少年だ。
東京のクラブで、前座的に歌わせて貰っていた処、三ヵ月前、今のバンドにスカウトされたと云う。
ラッキーな滑り出しだと思いきや、豈(あ)に図(はか)らんや、これがとんでもない。暴力団絡みのバンドだったのである。
温泉街……。そこに住み、そこに働き、そこに集まって来る人々……。色んな人がいる。色んな人生がある。
病気を治す為に来て、その侭(まま)住み着いた人。アルバイトで来て、本職となり、住民になった人。駆け落ちして来て、共稼ぎをし乍ら居着いた男女、旅の縁(よすが)に寄って、何となく定住した人。と、理由(わけ)ありの人達をあまり詮索せず受け容れて呉れるのも、温泉街の特徴である。
着のみ着の侭で飛び込んで来る人達に、堂々とした過去がある訳がない。嘘の履歴を嘘と百も承知で受け容れて呉れる。そういった好意を裏切って、使い込みや、無断で辞めて居無くなって了う人も沢山いる。そういう目に遭っても、温泉街の人達は驚かない。
「ああ、又か」「あの人も駄目だったか」と、自分達の被害を嘆かず、その人を哀れむ。又、温泉街に働く中、地元の人達の温情に心を打ち解け、心機一転、人生を遣り直す人もいる。草津の街も例外ではない。
自業自得に違いはない。が、温泉街に流れ着いた人達には、何の苦労もなく惰性の日常を送っている人達とは違った、哀愁が有り、人生の襞(ひだ)が有る。
私は草津の街が好きである。草津には掛け値の無い、垣根の無い人達が懸命に共存している姿が有る。
都会の虚栄と欲の中から、此の赤裸々な草津の郷にやって来ると、
「人生って良いなー」と、芯から思う事が出来る。
スナック“あじさい”も色んな事があった。開店当初、ホテルに半年契約で或るバンドが来ていた。その中に、ボーカルを担当していた十九才の少年、Mちゃんがいた。歌は上手いし、マスクは甘い。二枚目である。一寸神経質そうな、大人しい少年であった。東京出身で、十七才の頃から歌の勉強をし、プロを目差していた。Mちゃんの声は顔に正比例して甘く、ムード歌謡に持って来いの大人っぽい歌い方である。クラブ歌手向きの将来有望な少年だ。
東京のクラブで、前座的に歌わせて貰っていた処、三ヵ月前、今のバンドにスカウトされたと云う。
ラッキーな滑り出しだと思いきや、豈(あ)に図(はか)らんや、これがとんでもない。暴力団絡みのバンドだったのである。
つづく。
2010年02月17日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 17
17.“あじさい”一本で生きる事にした……
群馬は温泉の宝庫である。日本人の生活水準はどんどん上がりつつある。いずれ温泉のブームが遣って来る。今の様に、老人の湯治客許(ばか)りではなくなる。屹度(きっと)、温泉街は賑わうだろう。(此の感は後に大当たりとなる)
千春は、中でも一番名高い草津温泉に乗り込む事にした。湯畑の近くのDホテルに就職し、フロントを中心に接客術を徹底的に勉強した。良く働くので、給料もどんどん上げて呉れた。
草津で生きて行く自信がついた千春は、父母や兄妹達を草津に呼ぶ事にした。皆、千春に賛同し、一家は草津の人となった。
昭和四十八年(1973)。
遂に念願のスナック“あじさい”が誕生した。草津に来てから七年。千春二十五才の春の事である。
此の時、既に母を亡くしていた。父の寂しさを思い、千春は再婚を勧めた。再婚相手は直ぐに見つかった。元芸伎だった苦労人の後添えさんは、働きたがった。
それでは、と云う事で父と共に芸伎置屋を営(や)って貰い、千春も手伝う事になった。
一家はどんどん栄えて行った。兄や姉や弟や妹は、結婚や就職と、それぞれの道を順調に歩んで行った。
昭和六十年、父死亡。五十五年頃から体を悪くし、入退院を繰り返し、最後の一年は病気で寝たきりだったのである。そんな父に絶望を感じた後添えさんは、離婚を申し出て、父の最期の時は去っていた。
それでも、父の最期は幸福であった。臨終間際には、子供達に見守られ、静かに息を引き取ったのである。いまわの際には、意識は朦朧(もうろう)としていたが、
「千春……千春……」と、千春の名前丈は呼び続けていたと云う。
それ以来、芸伎置屋も辞め、千春は“あじさい”一本で生きている。
これが千春ママの簡単な略歴である。千春ママさん直々に聞いた事と、地元の人から教わった事を混ぜ合わせているので、若干、事実と違う点があるかも知れないが、私の聞いた通り此処に記して置く事にした。
扨、これからが騒動記の始まりである――。
群馬は温泉の宝庫である。日本人の生活水準はどんどん上がりつつある。いずれ温泉のブームが遣って来る。今の様に、老人の湯治客許(ばか)りではなくなる。屹度(きっと)、温泉街は賑わうだろう。(此の感は後に大当たりとなる)
千春は、中でも一番名高い草津温泉に乗り込む事にした。湯畑の近くのDホテルに就職し、フロントを中心に接客術を徹底的に勉強した。良く働くので、給料もどんどん上げて呉れた。
草津で生きて行く自信がついた千春は、父母や兄妹達を草津に呼ぶ事にした。皆、千春に賛同し、一家は草津の人となった。
昭和四十八年(1973)。
遂に念願のスナック“あじさい”が誕生した。草津に来てから七年。千春二十五才の春の事である。
此の時、既に母を亡くしていた。父の寂しさを思い、千春は再婚を勧めた。再婚相手は直ぐに見つかった。元芸伎だった苦労人の後添えさんは、働きたがった。
それでは、と云う事で父と共に芸伎置屋を営(や)って貰い、千春も手伝う事になった。
一家はどんどん栄えて行った。兄や姉や弟や妹は、結婚や就職と、それぞれの道を順調に歩んで行った。
昭和六十年、父死亡。五十五年頃から体を悪くし、入退院を繰り返し、最後の一年は病気で寝たきりだったのである。そんな父に絶望を感じた後添えさんは、離婚を申し出て、父の最期の時は去っていた。
それでも、父の最期は幸福であった。臨終間際には、子供達に見守られ、静かに息を引き取ったのである。いまわの際には、意識は朦朧(もうろう)としていたが、
「千春……千春……」と、千春の名前丈は呼び続けていたと云う。
それ以来、芸伎置屋も辞め、千春は“あじさい”一本で生きている。
これが千春ママの簡単な略歴である。千春ママさん直々に聞いた事と、地元の人から教わった事を混ぜ合わせているので、若干、事実と違う点があるかも知れないが、私の聞いた通り此処に記して置く事にした。
扨、これからが騒動記の始まりである――。
つづく。
2010年02月16日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 16
16. 何処に根を下ろすか……
千春は十五の年、就職の道を選んだ。学校の先生や家族は、その選択に驚いた。
自給自足の延長の様な生活ではあったが、千春が高校に行くのを断念しなければならない程、困っている訳ではなかった。自然の中で育ち乍ら、此の時千春は既に自立していた。大人であった。家庭の中でも中心人物であった。
物事の取り決めは千春の云う通りにすると、不思議に上手く行った。精神的に、家族の皆から頼られていた。
千春は早く働きたかった。セーラー服を着て三年間学校に行くのは、時間のロスに思えた。社会に出て、学問がどれ程の役に立つと云うのか。私は働きたい。働いて、皆の生活を楽にしてやりたい。此の家族を引っ張って行くのは私なのだと、心に決めていた。
中学卒業と同時に、渋川のレストラン兼料理屋に、三年の約束で就職した。
働くのが好きな千春は、水を得た魚の様にピチピチとその才能を発揮し出した。一を云えば十を理解し、人の何倍もの早さで消化して了う。半年もしない中に、経営者や客の求めているものが、要求される前に先取り出来る様になっていた。
掃除から買い出し、接客、会計、と自ら仕事を探(み)つけ、積極的に働いた。働くのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。
給料を貰うと、それを家族に送ってやるのが無上の喜びであった。千春のテキパキとした働き振りと屈託のない性格は、周りの人をも明るくして行った。
三年間。きっちり勤め上げた千春は、約束通り料理屋を辞めた。千春十八才の春の事である。
料理屋の引き留めや縁談話も有ったが、千春の心は決まっていた。上の兄や姉は結婚して、自分の家庭の事で精いっぱいである。弟や妹は未だ学校である。実家は未だに自給自足の延長である。私が父母や弟妹の面倒を見なくて、誰が見て呉れると云うのか。
千春は独立したかった。小さな店で良い、自分の力で稼ぎたい。人に使われていたんじゃ、本当の力は発揮出来ない。然し、今直ぐ独立するのは無理である。資金も地盤も人脈も無い。おまけに若過ぎる。
千春は考えた。先ず、何処に自分の根を下ろすか……だ。
千春は十五の年、就職の道を選んだ。学校の先生や家族は、その選択に驚いた。
自給自足の延長の様な生活ではあったが、千春が高校に行くのを断念しなければならない程、困っている訳ではなかった。自然の中で育ち乍ら、此の時千春は既に自立していた。大人であった。家庭の中でも中心人物であった。
物事の取り決めは千春の云う通りにすると、不思議に上手く行った。精神的に、家族の皆から頼られていた。
千春は早く働きたかった。セーラー服を着て三年間学校に行くのは、時間のロスに思えた。社会に出て、学問がどれ程の役に立つと云うのか。私は働きたい。働いて、皆の生活を楽にしてやりたい。此の家族を引っ張って行くのは私なのだと、心に決めていた。
中学卒業と同時に、渋川のレストラン兼料理屋に、三年の約束で就職した。
働くのが好きな千春は、水を得た魚の様にピチピチとその才能を発揮し出した。一を云えば十を理解し、人の何倍もの早さで消化して了う。半年もしない中に、経営者や客の求めているものが、要求される前に先取り出来る様になっていた。
掃除から買い出し、接客、会計、と自ら仕事を探(み)つけ、積極的に働いた。働くのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。
給料を貰うと、それを家族に送ってやるのが無上の喜びであった。千春のテキパキとした働き振りと屈託のない性格は、周りの人をも明るくして行った。
三年間。きっちり勤め上げた千春は、約束通り料理屋を辞めた。千春十八才の春の事である。
料理屋の引き留めや縁談話も有ったが、千春の心は決まっていた。上の兄や姉は結婚して、自分の家庭の事で精いっぱいである。弟や妹は未だ学校である。実家は未だに自給自足の延長である。私が父母や弟妹の面倒を見なくて、誰が見て呉れると云うのか。
千春は独立したかった。小さな店で良い、自分の力で稼ぎたい。人に使われていたんじゃ、本当の力は発揮出来ない。然し、今直ぐ独立するのは無理である。資金も地盤も人脈も無い。おまけに若過ぎる。
千春は考えた。先ず、何処に自分の根を下ろすか……だ。
つづく。
2010年02月15日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 15
15. その魅力はどのようにして…
“あじさい”はスナックという枠の中で、地元草津に貢献している。地元の人達のコミュニケーションの場として、サロンの役目を果たしている。“あじさい”は草津の町の縮図である。“あじさい”で酒を飲んでいる丈で、草津の町が理解出来る。
千春ママさんは人を楽しくさせて呉れる。人を嬉しくさせて呉れる。千春ママさんは、人と人を結び付ける天才である。粋で清々しく、スカッとしていて、向日葵の様に暖かく、紫陽花(あじさい)の様に鮮やかなその魅力は、どのようにして培われたのであろうか……
長年、草津を訪れる中で私が知り得た、千春ママの人柄を此処に記して置こう。
千春は、昭和二十三年(1948)、群馬県の、此の草津からそう遠くない或る村で、農家の子として生まれる。七人兄妹で、千春は五番目。
父母は戦時中、農業開拓団で満州に渡っていた。羽振りが良かった。姉の一人が、生後九ヵ月で病死した。
日本が敗戦。父母は三人の子供を引き連れ、命からがら帰国。焦土の日本には何も無い。父は山の開墾(かいこん)に、母と幼き子等は家畜の世話と、自給自足の生活が始まった。
そんな中で生まれた千春は、他の兄弟と同じく自然児であった。遊びといえば、山野を駆け回り、猿の様に木に登り、素っ裸で川に飛び込み、まるで腕白(わんぱく)な男の子と変わりはなかった。木切れ、小石、木の葉、草、花、農機具、あらゆる物が遊び道具であった。
兄妹六人は仲が良かった。今もその団結は固い。兄妹は皆、嘘を吐(つ)かなかった。何でも話し合った。父母の手伝いを良くした。毎日分担を決めて良く働いた。父の手伝いで山に登るもの、母の手伝いで田に入るもの、家畜の世話をするもの、食事の仕度をするものと、チームワークは最高であった。貧乏であったが、皆幸福であった。
“あじさい”はスナックという枠の中で、地元草津に貢献している。地元の人達のコミュニケーションの場として、サロンの役目を果たしている。“あじさい”は草津の町の縮図である。“あじさい”で酒を飲んでいる丈で、草津の町が理解出来る。
千春ママさんは人を楽しくさせて呉れる。人を嬉しくさせて呉れる。千春ママさんは、人と人を結び付ける天才である。粋で清々しく、スカッとしていて、向日葵の様に暖かく、紫陽花(あじさい)の様に鮮やかなその魅力は、どのようにして培われたのであろうか……
長年、草津を訪れる中で私が知り得た、千春ママの人柄を此処に記して置こう。
千春は、昭和二十三年(1948)、群馬県の、此の草津からそう遠くない或る村で、農家の子として生まれる。七人兄妹で、千春は五番目。
父母は戦時中、農業開拓団で満州に渡っていた。羽振りが良かった。姉の一人が、生後九ヵ月で病死した。
日本が敗戦。父母は三人の子供を引き連れ、命からがら帰国。焦土の日本には何も無い。父は山の開墾(かいこん)に、母と幼き子等は家畜の世話と、自給自足の生活が始まった。
そんな中で生まれた千春は、他の兄弟と同じく自然児であった。遊びといえば、山野を駆け回り、猿の様に木に登り、素っ裸で川に飛び込み、まるで腕白(わんぱく)な男の子と変わりはなかった。木切れ、小石、木の葉、草、花、農機具、あらゆる物が遊び道具であった。
兄妹六人は仲が良かった。今もその団結は固い。兄妹は皆、嘘を吐(つ)かなかった。何でも話し合った。父母の手伝いを良くした。毎日分担を決めて良く働いた。父の手伝いで山に登るもの、母の手伝いで田に入るもの、家畜の世話をするもの、食事の仕度をするものと、チームワークは最高であった。貧乏であったが、皆幸福であった。
つづく。
Posted by 東 隆明 at
11:42
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2010年02月13日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 14
14. あじさいは異次元空間である……
「いくらAさんに貸してるんだい、云ってごらんよ」
「…二十万」
「え? 二十万? アハハハハ。あたしゃ亦、何百万も貸してるのかと思った。二十万位で取立屋みたいに請求されたんじゃ堪らないよ。ねえ、友達ってそんなもんじゃないだろ。然も大勢の前でさ。期限にAさんが払えなきゃ、あたしが立て替えるから此の店でそういう不粋な事は云わないで呉れるかい」
「分かった。悪かったよ。今日は一寸悪酔いしてるんだな」と、悄気(しょげ)るBさん。
「そうだよ、Bさん。今日のあんたは始めから可笑しかったよ。俺達にも訳の分からん事で突っ掛かって来るしよ」と、一緒に来た仲間の一人。
「うん……そうだな。いかんな」と、Bさん自分の頭を小叩(こづ)く。
「そうか。Bさん、何か厭な事が有ったんだね。人生には色んな事が有るさ。だけどさ、どんな事が有っても人に当たり散らしたり、不愉快にさせちゃいけないよ。友達は大事にしなきゃ」
「そうだ。そうだな、ママ。悪かった。Aチャン、御免な」
「そうかい、分かって呉れたかい、有難さん。此のビールは私の奢(おご)りだ。カンペイしよう。これからカラオケ合戦でもやるか!」
「いいぞいいぞ、やろう!」と、声が掛かる。店内一斉にカンペイを皮切りにカラオケ合戦となる。お座敷の引けた芸伎さんや、浴衣姿のお客さんが次から次と入って来て、店内はどんどん賑々しくなって行く。唄に合わせて踊る者から、掛け声を掛ける者、手拍子を打つ者と、あじさい大盛況の中にその夜も更けてゆく……。
千春ママに肩書きは通用しない。
「俺は何処何処の○○だ」なんて云おうものなら「それがどうしたい」と、切り返される。それも喧嘩調ではない。ニコニコし乍ら、さり気なく云われて了う。云った方はカクンとなって勝負は終わり。
どんな事でも勝負は早い。あっという間に終わる。どんな事態でも解決は早い。あっという間に結論が出る。あじさいの空間は異次元空間である。あらゆる肩書きも、あらゆる垣根も、千春マジックで取り除かれ、皆仲良く飲める。素晴らしい空間である。素晴らしいママさんである。
「いくらAさんに貸してるんだい、云ってごらんよ」
「…二十万」
「え? 二十万? アハハハハ。あたしゃ亦、何百万も貸してるのかと思った。二十万位で取立屋みたいに請求されたんじゃ堪らないよ。ねえ、友達ってそんなもんじゃないだろ。然も大勢の前でさ。期限にAさんが払えなきゃ、あたしが立て替えるから此の店でそういう不粋な事は云わないで呉れるかい」
「分かった。悪かったよ。今日は一寸悪酔いしてるんだな」と、悄気(しょげ)るBさん。
「そうだよ、Bさん。今日のあんたは始めから可笑しかったよ。俺達にも訳の分からん事で突っ掛かって来るしよ」と、一緒に来た仲間の一人。
「うん……そうだな。いかんな」と、Bさん自分の頭を小叩(こづ)く。
「そうか。Bさん、何か厭な事が有ったんだね。人生には色んな事が有るさ。だけどさ、どんな事が有っても人に当たり散らしたり、不愉快にさせちゃいけないよ。友達は大事にしなきゃ」
「そうだ。そうだな、ママ。悪かった。Aチャン、御免な」
「そうかい、分かって呉れたかい、有難さん。此のビールは私の奢(おご)りだ。カンペイしよう。これからカラオケ合戦でもやるか!」
「いいぞいいぞ、やろう!」と、声が掛かる。店内一斉にカンペイを皮切りにカラオケ合戦となる。お座敷の引けた芸伎さんや、浴衣姿のお客さんが次から次と入って来て、店内はどんどん賑々しくなって行く。唄に合わせて踊る者から、掛け声を掛ける者、手拍子を打つ者と、あじさい大盛況の中にその夜も更けてゆく……。
千春ママに肩書きは通用しない。
「俺は何処何処の○○だ」なんて云おうものなら「それがどうしたい」と、切り返される。それも喧嘩調ではない。ニコニコし乍ら、さり気なく云われて了う。云った方はカクンとなって勝負は終わり。
どんな事でも勝負は早い。あっという間に終わる。どんな事態でも解決は早い。あっという間に結論が出る。あじさいの空間は異次元空間である。あらゆる肩書きも、あらゆる垣根も、千春マジックで取り除かれ、皆仲良く飲める。素晴らしい空間である。素晴らしいママさんである。
つづく。
2010年02月12日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 13
13. あたしの店で野暮は許さない……
「ヨオ、ヤッター!」「上手い上手い」大拍手。中の一人が、
「そりゃ、チイと褒め過ぎだわね」
「そんな事ない、そんな事ない。これは事実だ。うん、全くその通りだ。アハハハ」と、ママ。
隙さず又一人、
「その通りだけんど、ママのは何と云うか、笑い皺(じわ)が目立って来て尻も垂れて来たから、花は花でも枝垂(しだ)れの姥桜(うばざくら)って処かな」
「当り当り」「上手い上手い」と、これ亦大受け。
「そんなに垂れて来たかね」と、ママさん頻(しき)りに自分の尻を眺めたり、顔を鏡に映して、皺を点検するから、またまた大笑い。
そんな処に、地元の四人組が入って来て、ボックスに坐る。相当(かなり)酔っている様である。急に私の隣りのAさんが、肩を窄(すぼ)めて大人しくなる。ボックスの方から、不動産屋風の男がぶっきらぼうな声で、
「ヨオ、A。随分景気が良いんだね、酒なんか飲みに来てよー。俺の方は大丈夫だろうな。チャント返せよ!」ボックスの方を振り返り、卑屈に頭を下げるAさん。一瞬、座が白ける。ママがビールをボックスに配び乍ら、
「どうしたい、Bさん。金貸しでも始めたかい?」
「そうじゃねぇけど、Aが泣きついて来たから貸してやったのよ」
「へえ、そりゃ良い事したね。苦しい時はお互い様ってね。嬉しいもんだよ、持つ可(べ)きものは友ってね。あたしゃ又、あんたが取立屋にでもなったのかと思ったよ」
「そうじゃないよ。そうじゃないけど貸した金は返して貰わなきゃ」
「ふーん。それで返済日は何日だい、期限は過ぎてるんかい?」
「いや、未だだよ」
「いくらAさんに貸してるんだい」Aさん堪(たま)らなくなって、
「ママさん、イイヨ。これは俺と彼の問題だから」
「いいから、いいから。あんたは其方(そっち)で呑んでりゃ良いの。あたしの店で斯(こ)ういう話を持ち出されちゃ、あたしだって放っては置けないよ」
「ママには関係ない事だよ」と、Bさん。
「あたしに関係ない事を、どうしてあたしの店で大声で云うんだい」
「……」詰まるBさん。
「ヨオ、ヤッター!」「上手い上手い」大拍手。中の一人が、
「そりゃ、チイと褒め過ぎだわね」
「そんな事ない、そんな事ない。これは事実だ。うん、全くその通りだ。アハハハ」と、ママ。
隙さず又一人、
「その通りだけんど、ママのは何と云うか、笑い皺(じわ)が目立って来て尻も垂れて来たから、花は花でも枝垂(しだ)れの姥桜(うばざくら)って処かな」
「当り当り」「上手い上手い」と、これ亦大受け。
「そんなに垂れて来たかね」と、ママさん頻(しき)りに自分の尻を眺めたり、顔を鏡に映して、皺を点検するから、またまた大笑い。
そんな処に、地元の四人組が入って来て、ボックスに坐る。相当(かなり)酔っている様である。急に私の隣りのAさんが、肩を窄(すぼ)めて大人しくなる。ボックスの方から、不動産屋風の男がぶっきらぼうな声で、
「ヨオ、A。随分景気が良いんだね、酒なんか飲みに来てよー。俺の方は大丈夫だろうな。チャント返せよ!」ボックスの方を振り返り、卑屈に頭を下げるAさん。一瞬、座が白ける。ママがビールをボックスに配び乍ら、
「どうしたい、Bさん。金貸しでも始めたかい?」
「そうじゃねぇけど、Aが泣きついて来たから貸してやったのよ」
「へえ、そりゃ良い事したね。苦しい時はお互い様ってね。嬉しいもんだよ、持つ可(べ)きものは友ってね。あたしゃ又、あんたが取立屋にでもなったのかと思ったよ」
「そうじゃないよ。そうじゃないけど貸した金は返して貰わなきゃ」
「ふーん。それで返済日は何日だい、期限は過ぎてるんかい?」
「いや、未だだよ」
「いくらAさんに貸してるんだい」Aさん堪(たま)らなくなって、
「ママさん、イイヨ。これは俺と彼の問題だから」
「いいから、いいから。あんたは其方(そっち)で呑んでりゃ良いの。あたしの店で斯(こ)ういう話を持ち出されちゃ、あたしだって放っては置けないよ」
「ママには関係ない事だよ」と、Bさん。
「あたしに関係ない事を、どうしてあたしの店で大声で云うんだい」
「……」詰まるBさん。
つづく。
2010年02月09日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 12
12. “あじさい”は人間マップ…
千春の努力は、草津の人達に受け容れられて行った。持ち前の飾り気のない屈託のない性格が扶(たす)けて呉れた。
スナック“あじさい”は草津の町の人間マップである。地元の人達が気楽に、気策にやって来る。町長さんから町役場の人達。消防団に青年団。警察の署長さんからお巡りさん。ホテルの支配人から従業員。芸伎さんから主婦達。米屋、写真屋、お土産屋さん、学校や塾の先生に経理士さん。銀行員に郵便局員。ストリッパー嬢に、そのおヒモさん。会社の社長に従業員。喫茶店のマスターにママさん。トラックの運転手さんにタクシーの運転手さん。と、客層が広い。
昼間は付き合いが無かったり、仲が悪かったりする間柄でも、ひと度、“あじさい”で顔を合わせると、蟠(わだかま)りが無くなり、仲良くなる。何時の間にか握手をしたり、肩を組み合っている。千春マジックであろうか……。
ママとしては、此の店で啀(いが)み合われては困る。酒を飲む時は、寛い気持ちになって仲良くして欲しい。それが、やがては互いの誤解が融け、敵対者から大の仲良しになっている、というのが“あじさい”の醍醐味(だいごみ)である。
こんな事があった。
その夜のカウンターは、地元の人達と私でなぞなぞ遊戯(ごっこ)をしていた。
「千春ママと掛けて何と解く」と年配の商店主が出題。隙(すか)さず私が挙手。
「ハイ、東さん。貶(けな)したら勘定が倍になるよ。しっかり褒めとくれ」と、ニコニコママさん。
「それじゃ、脅迫だよ、貶そうと思ったのに」と、私。
「ダメダメ。さあ、やっとくれ。思いっ切り褒めとくれ。千春ママと掛けて?」
「うーむ。……よし、出来た。千春ママと掛けて!」
「何と解く!」と、全員が一斉に。
「名画の花と解く」
「その心は!!」
「観るに飽きなく、その美に崩れなく、永遠に咲き誇る。手にする事の出来ない高嶺(たかね)の花!」
千春の努力は、草津の人達に受け容れられて行った。持ち前の飾り気のない屈託のない性格が扶(たす)けて呉れた。
スナック“あじさい”は草津の町の人間マップである。地元の人達が気楽に、気策にやって来る。町長さんから町役場の人達。消防団に青年団。警察の署長さんからお巡りさん。ホテルの支配人から従業員。芸伎さんから主婦達。米屋、写真屋、お土産屋さん、学校や塾の先生に経理士さん。銀行員に郵便局員。ストリッパー嬢に、そのおヒモさん。会社の社長に従業員。喫茶店のマスターにママさん。トラックの運転手さんにタクシーの運転手さん。と、客層が広い。
昼間は付き合いが無かったり、仲が悪かったりする間柄でも、ひと度、“あじさい”で顔を合わせると、蟠(わだかま)りが無くなり、仲良くなる。何時の間にか握手をしたり、肩を組み合っている。千春マジックであろうか……。
ママとしては、此の店で啀(いが)み合われては困る。酒を飲む時は、寛い気持ちになって仲良くして欲しい。それが、やがては互いの誤解が融け、敵対者から大の仲良しになっている、というのが“あじさい”の醍醐味(だいごみ)である。
こんな事があった。
その夜のカウンターは、地元の人達と私でなぞなぞ遊戯(ごっこ)をしていた。
「千春ママと掛けて何と解く」と年配の商店主が出題。隙(すか)さず私が挙手。
「ハイ、東さん。貶(けな)したら勘定が倍になるよ。しっかり褒めとくれ」と、ニコニコママさん。
「それじゃ、脅迫だよ、貶そうと思ったのに」と、私。
「ダメダメ。さあ、やっとくれ。思いっ切り褒めとくれ。千春ママと掛けて?」
「うーむ。……よし、出来た。千春ママと掛けて!」
「何と解く!」と、全員が一斉に。
「名画の花と解く」
「その心は!!」
「観るに飽きなく、その美に崩れなく、永遠に咲き誇る。手にする事の出来ない高嶺(たかね)の花!」
つづく。
2010年02月05日
肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 11
11. 色気を売り物にしない様に……
それから十年、私はすっかり“あじさい”の常連になっていた。
千春ママは益々健在で、その接待ぶりは円熟味を増し、地元遠方を問わず増える一方である。ママの歯に衣を着せぬ言葉を聞き度くて、全国から遣って来る。
ママと酒を呑んでいると、今迄悩んでいた事や苦にしていた事が、馬鹿らしくなって来る。
ママの何気ない冗談の中に、凄い人生哲学があり、それがヒントになる。
ママと呑んでいると、気分が安らぎ、リラックスする事が出来る。
此のママの、年配であろうが若かろうが、肩書きが有ろうが無かろうが、地元であろうがなかろうが、一見であろうが常連であろうが、全く関係なく同じ様に喋り、そして誰にでも通じる――その会話術は、どうして培われたものなのであろうか。
“あじさい”は昭和四十八年(1973)四月に開店したらしい。妹に手伝って貰い、当初は若い美人姉妹が営(や)っている店、という事で評判になり、色気を求めて来る客も多かったという。餘(おまけ)に、その年の秋には父親が芸伎置屋を開業し、芸者も兼業する様になると、評判は益々高まった。お座敷に出てる間は妹に任せ、お座敷が引けたら、芸者姿の侭でスナックのママに転身する。繁昌するのは当然である。
千春はお座敷でも売れに売れた。持ち前の器量にサッパリした気性、飲みっぷりの良さと小気味の良い受け応えが、粋な上客の心を捉(とら)えて離さなかった。千春指名のお座敷が多くなるに連れ、千春自身の心は重くなって行ったようだ。周りとの折り合いが、上手く行かなくなって来たのである。
全ての面でズバ抜けているというのは、周りとの均衡を欠く。その上に、若くて新参者である。狭い町である。
千春は、此の草津が好きだ。此の町に骨を埋めたいと思っている。群を抜いている存在自体、罪なのである。良い気になってやり度い放題やっていたら、その中弾き飛ばされるか、自滅する事になるだろう……。大儲けしたいという欲はない。健康で楽しく人生を送れれば良い。
千春は徐々にお座敷を減らし、スナック一本に絞る事にした。そして、色気を売り物にしない様に努めた。面と向かって批判された事はないが、周りの冷たい視線というものは、鈍感でない限り分かるものだ。成可く地味に行動し、草津の町に融(と)け込むよう心掛けた。 つづく。
それから十年、私はすっかり“あじさい”の常連になっていた。
千春ママは益々健在で、その接待ぶりは円熟味を増し、地元遠方を問わず増える一方である。ママの歯に衣を着せぬ言葉を聞き度くて、全国から遣って来る。
ママと酒を呑んでいると、今迄悩んでいた事や苦にしていた事が、馬鹿らしくなって来る。
ママの何気ない冗談の中に、凄い人生哲学があり、それがヒントになる。
ママと呑んでいると、気分が安らぎ、リラックスする事が出来る。
此のママの、年配であろうが若かろうが、肩書きが有ろうが無かろうが、地元であろうがなかろうが、一見であろうが常連であろうが、全く関係なく同じ様に喋り、そして誰にでも通じる――その会話術は、どうして培われたものなのであろうか。
“あじさい”は昭和四十八年(1973)四月に開店したらしい。妹に手伝って貰い、当初は若い美人姉妹が営(や)っている店、という事で評判になり、色気を求めて来る客も多かったという。餘(おまけ)に、その年の秋には父親が芸伎置屋を開業し、芸者も兼業する様になると、評判は益々高まった。お座敷に出てる間は妹に任せ、お座敷が引けたら、芸者姿の侭でスナックのママに転身する。繁昌するのは当然である。
千春はお座敷でも売れに売れた。持ち前の器量にサッパリした気性、飲みっぷりの良さと小気味の良い受け応えが、粋な上客の心を捉(とら)えて離さなかった。千春指名のお座敷が多くなるに連れ、千春自身の心は重くなって行ったようだ。周りとの折り合いが、上手く行かなくなって来たのである。
全ての面でズバ抜けているというのは、周りとの均衡を欠く。その上に、若くて新参者である。狭い町である。
千春は、此の草津が好きだ。此の町に骨を埋めたいと思っている。群を抜いている存在自体、罪なのである。良い気になってやり度い放題やっていたら、その中弾き飛ばされるか、自滅する事になるだろう……。大儲けしたいという欲はない。健康で楽しく人生を送れれば良い。
千春は徐々にお座敷を減らし、スナック一本に絞る事にした。そして、色気を売り物にしない様に努めた。面と向かって批判された事はないが、周りの冷たい視線というものは、鈍感でない限り分かるものだ。成可く地味に行動し、草津の町に融(と)け込むよう心掛けた。 つづく。







