2012年01月27日
東隆明のキーワード 9 人と共に…
私と私の仲間は、皆が集まれる場所が急務と、島原市の真中にコミュニケーションサロンを建てた。皆貧乏になった。借金もした。未だに完済出来ないでいる。
そのサロンは「復興ビル」と名付けられ、その屋上には大きな文字で
「手をつなごう、愛ある故に人は輝く」と掲げられた。
人は一人では生まれて来ない
人は独りでは生きて行けない
一人が好き 人と話したくない
孤独が好き 人より花鳥や自然と語りたい
そんな人は可哀そう
人は人と触れ、語り合うから人間(人の間)という
孤独な自己中心の人は人間とは言わない 唯の「人」である。
そう云う人は無論嫌われる。そう云う人は嫌われたいのだ。
人間社会に居るのは無意味である。
何の役にも立たないそう云う人は、何処か山奥か無人島で勝手に余生を暮らせば良い。それなりにその人にとっては幸福なのであろう。
人は人との触れ合いによって成長する
人無くして、触れ合い無くして成長は有り得ない
コミュニケーションの中から喜びも悲しみも怒りも、慈しみも分かち合い、人は人との愛を育み成長して行くのである。
人の世は短く長く
ひたすらに
生きてこそある 今のやすらぎ
人と共に 今日を生く
2012年01月11日
東隆明のキーワード 8 手を結べば……
あの大震災から十ヵ月になる。国内、国外からの至る所から支援、援助の手が差し伸べられている現状ではあるが、復興の道は険しく、遅々として進まない…。それでも一歩一歩進んで行くしか道はない。
![]() | 今も荒れた我が家の瓦礫の前に立ち、行方不明の子供達の名を呼び続ける両親の姿がある。「嘆いてばかりは居られない。嘆いていても失った家族は帰らない。明日に向かって生きよう。元気を出して力強く、前に進むのが亡くした家族への慰めであり、供養なのだ」
なんて言葉が励ましにならない、寧ろ、虚無感を深め、増幅させる事にも……。 |
| 復興ビル | |
![]() | 復旧作業は少しずつ確実に進んで行くだろう。 だが、復興は難しい。
メンタルを中心とした人々の生活の営み、仕事の充実、活気あるコミュニケーションを復活させねばならない。例え何年何十年懸かろうとも……。 |
| 親睦会 | |
![]() | 二十年前の雲仙普賢岳の火砕流を思い出す。 十年経って、島原市長が完全復興宣言をした。災害以前にも増して見事な町が復興したのだ。人々は強くなった。逞しくなった。
|
| 会議 |
何よりも大きく成長したのは、原動力になったのは、支援物資でも政策による復旧工事、作業でもない。一人一人が起ち上がり、自立復興を目指したのである。依存心を捨てたその力が集まり、大きな力となった。災害の度合や立場で、それぞれの集会に別れていたのが、手を結び始め、大きな復興となって行った。そこに復興ビルの存在があった。
2011年12月08日
東隆明のキーワード 7
島原復興の宣言が出来たのは、大火砕流から丸十年が経過した2001年6月3日の事である。
俺ら達の「自然会」は、その日まで色んな形で地元に密着し、翌6月4日には撤退した。長い年月であった。地元の人より地元に詳しい、と地元の人に言われる位、地元に馴染んでいたので、別れは辛かった。
その時の経験、体験が次々の災害のノウハウとなって役立っている。
中でも「復興ビル」の役割は大きい。家や道路や橋は時間と共に回復し、復興を遂げる、災害前より立派に再生する事が出来る。
が、人は、人の心は其処に住む人はそういう訳には行かない。
人の心が復興して、前よりまして立派に成長し、生き活きと生活出来なければ真の復興とは云えない。災転じて福と成す、前にも増して大きく自愛に満ちた人になって、初めて自立復興、応援して呉れた人達への恩返しとなる。
東北大震災の只中にあって、寒さの中沢山の人が現地に赴き、親身になって被災者の方達の世話や励ましの努力をして呉れている。
ライフラインが逼迫していた災害直後は、その世話や手伝いが非常に有難いものである。被災者にとっては神様にも見える。何の関係も何の繋がりもない見ず知らず人達が全国各地から駆け付けて呉れる。骨身を惜しまぬその献身に、被災者は涙して喜んだ。
が此処からである。ライフラインが落ち着き、仮設住宅や受け入れ先に収まった被災者達がホッとした矢先に襲って来るものは……
急襲して来る悲しみ、亡くした家族への想い、言い知れぬ淋しさ…虚無感と喪失感、明日への不安、目的も希望も持てない、自棄の状態……
こんな状況でボランティアはどんな手助けが出来るというのか。
震災から9ヵ月経った現在、大変困難な第二段階に入る。
此処からボランティアも脱落して行く。どんどん居なくなる。
「復興サロン」が必要となる。復興サロンとは?
2011年12月01日
東隆明のキーワード 6
東北大震災から八ヵ月が過ぎ、東北地方にとって例年より厳しい冬がやって来る。生まれてから恐らく初めての、地獄の、最悪の越冬生活に突入する。
跡形もない町、村…生活して来た故郷は、その残骸のカケラにも見出せず、ふる里は残りし者の記憶にのみ存在する。
全国から世界から、色々な形で支援や励ましの手が差し伸べられる中、力強くもあり感謝の日々でもある被災者である……
が、復興のメドが立たない、先が見えて来ない不安が、その焦燥感を募らせ、身も心も廃れて行く人も多い。
自殺者も増えている……
こんな時こそ一致団結、一丸、自立復興を目指して立ち上がらねばならない。
受身丈では何も進まない。行政に要求丈では復興は遠い。
同時進行で自分達が手を握り、繋ぎ、大きな輪となり復興して行かねばならない。
仮設住宅の冬は厳しい。簡易住宅だから外の寒さが部屋を襲う。火災でも発生したら、あっという間に類焼し、第二の大被害になる怖れがある。だから、石油やガスの暖房器は使えない。
家族が電気コタツに足を突っ込み、背を丸めて過ごす厳冬の冬籠り……。
その冬を何度過ごせば元の生活に戻る事が出来るのか、明るい希望が見えて来ない中、だからこそ、今こそ一人一人が奮い立って、手を握り繋ぎ、今出来る事から復興の一歩を歩み出さねばならない。
仮設住宅の一角には、コミュニケーションの出来る部屋が設けられているが、仲々利用する人が集まって来ない。折角の集会所が勿体ない、と思う人がいると思うが、現実はそんなものではない。
人、それぞれの被害状況、被害の大小が違う。どうしても自分と比べて了い、悲しみもより一層のものとなり、励まし合う所か険悪の状態になる事もある。
被災者同士、顔を合わせる事に依り、悲しみもより一層のものとなり、コミュニケーションを避けたい人もいるのだ――どうすれば良いのか…。
2011年11月14日
東隆明のキーワード 5
欧米では人との挨拶に握手をする事が多い。特に初対面で人に引き合わされた時、
「よろしく」という意味で、ニコニコと握手する。良き友人になれます様にと、期待を込めた握りっこである。
そして、別れる時に再び握手をすれば、双方共に気に入り、
「今後もよろしく」と固い握手となる。
日本ではどうだろう……。日本人同志の握手は、あまり見掛けないねえ。
日本では紹介されると、ペコッとお辞儀をするか、利害が絡むか、身分(肩書)を明かす為に名刺を取り出し交換する。大抵の日本人は、この光景から始まる事が多い。
そして、お互いに気に入り、今後の交際を深めようと、別れの際に握手となる。
日本人の握手は、立場が五分五分であったり、利害が一致した時に起きる、現象であり証明でもある。
欧米では、利害が絡もうが絡むまいが、友達になりたかろうがなかろうが、身分の高低に拘わらず気楽に握手する。だから、握手にあまり重みはない。
日本人にも似た人種が居る。政治家に多い。
有権者だと、誰とでもお構いなく、ニコニコと握手を求める。敵対する相手にでも、嬉しそうに何度も、上下に大きく振りながら握手する。軽々しく、底の浅い握手である。不可解な、不愉快な見たくもない光景である。
すべからく、その場を取繕うだけの挨拶、握手は醜いものである。
元来、握手は尊いものでなければならない。
握手は、素直に交流を求める、誠実な行為でなければならない。
その光景は、観た目にも微笑ましいものでなくてはならない。
手を握れば相手の暖かさが伝わって来る。
それが、ホンモノの握手だ。
手を握れば…繋がりが生まれる。
亦、ひとつ幸福がやって来る。
2011年11月09日
東隆明のキーワード 4
昔は、子供が熱を出したり怪我をすると、肉親が一生懸命看病したものである。
が、昨今の親は直ぐに薬や医者に頼り、自分が子供を治そうとしない。そういった事も親子関係の希薄さや絆の浅さに繋がっているのかも知れない。
本当は親の看病が、手当が一番効くのである。親の愛の手が奇跡をも生むのである。
薬や医者の効能は、対症療法に過ぎず、親の深い愛には叶わない。
愛の手、愛の手当は子供の自己治癒力を高め、親に対する感謝、尊敬を深める。手を抜いて、他人に委ねるから尊敬されない。愛の浅い子供に育ち、薄情な大人になって了う。
子供を助ける為には、命を懸けても身代りになっても喜んで死ねる、それが本当の、当り前の、素晴らしい親である。その子は又、素晴らしい親になる。それが、素晴らしい繰り返し、因果応報、素的なカルマである。
人は、多くの人は自分の手に力が有る事を知らない。
そんな力が有る訳がない、と思っている。
自分に自信が無い。信じようとしない。だから始めから諦めて他に頼る、依存する。一寸試して見て、効きめがないと、やっぱり駄目だと諦める。愛が浅いのである。
愛が深ければ深い程、手の力は強くなる。
想いの、念の力が、その手を通して我が子の血に、細胞に元気を与える。見る見る快方に向かって行くのである。これが本当の手当、手の術、手術である。
人は、置き忘れて来た「手当」を思い出し、愛する人を助けねばならない。
諦めずに手当を鍛えれば、どんどん力が付き、肉親を越えて他人をも救える様になる。
手当は百薬の長である。
2011年11月04日
東隆明のキーワード 3
俺らは幼少のみぎり、よく風邪をひいたそうな。戦後の焦土の中、日本全土貧に窮していたが、中でも我が家は究極の、最低の最悪のどん底生活であった。
一家六人の生活の為に、少しでも多くの収入をと、母は大阪に住込み芸者で出稼ぎに行っていた。
俺らは祖母に育てられたが、その祖母は俺らが五才の時、栄養失調で死んだ。
母親からの送金は祖父の飲む・打つ・買うに化け、家族の飢えの足しにはならなかった。娘を食い物にし、家族を見殺しにしても平気な極悪非道なケダモノである。勿論、ロクな死に方をしなかったのは当然の事である。
祖母は死ぬ迄、片時も俺らを放さず、僅かな食料も俺らの口に入れ、自分は水ばかり飲んでいたそうである。初孫で最後の孫となる俺らを、眼の中に入れても痛くないと、可愛いがって呉れたそうな。
旨いものも薬も買えない家庭である。
風邪をひいている俺らの鼻水を、祖母は自分の口で吸い、呑み込んで呉れたと云う。そして、俺らの額と心臓に手を当て、
「熱よ引け」「治れ、治れ」と、一生懸命祈って呉れたそうな。
そうすると、皆が不思議がる程、熱が下がりだし、俺らに元気が戻って来たという。
祖母の手は「神様の手」と称ばれる様になった。
所が、此の神様の手の効能は、他の人には通じなかったらしい。噂を聞いた近所の人が頼みに来ても、祖母は手を当てなかった。我が娘、息子にも当てなかった。孫の俺らにしか手当が効かない事を祖母は悟っていたらしい。
「この子は神の子だ、この子は絶対死なせない、この子は私が守る」と、我が身を削り、俺らの手当に子育てにと身命を懸け……死んで逝った。
祖母は俺らの身代りになったのである。
2011年11月01日
東隆明のキーワード2
人は、一しか努力しないのに十、百と成果が上がれば「ラッキー」と喜ぶ。それが千、万となると「奇跡だ!」と狂喜する。
が、百努力したのに五十の成果しか上がらないと、その五十が不満である。二十、十だとアンラッキー、不幸である。〇だと「最悪だ、絶望だ」と嘆く。そして、神も仏も無いと、神仏を罵り、世の中を恨む。世界的大不況の現状では無理もない、無理もない事である。
が、こんな時にこそ、こんな時だからこそ、人間は真価を問われる。真価を試される。こんな時にこそ真価を発揮出来るチャンスでもあるんだな。
逆境を踏台にして、不幸をバネにして――それをエネルギーにして、飛躍する事が出来る。人はそれを「奇跡」と云う。
何もしないのに奇跡は起きない。一滴のガソリンもない車は動かない。走らない。入れたら入れた分だけ車は動く。
人の馬力(エネルギー)は生命力だ。
生命力は「気」である。
気が無くなれば人は力尽きる。そして、それは「死」である。肉体は生きていても、「気」が失くなれば、生きていても死んでいる。生き乍ら死体である。
元来、奇跡というものは無い。そもそも不幸というものも無い。
奇跡も不幸も積み重ねの結果で、一気に噴き出して来る正と負のエネルギーである。
人は、その積み重ねの預金(徳)が多ければ大きい程、いざという時に一気にその成果を顕(あらわ)す。人はそれを「奇跡」と云う。
積み重ねの負(罪)が多ければ大きい程、遂には爆発し、破滅する。人はそれを「不幸」と云う。
奇跡の人となれ、徳を積もう、奇跡は起きるもの。
2011年10月11日
東隆明のキーワード 1
早いもので「HANDパワー」と云うか、「GODフィンガー」と云うか、天啓を享けてから28年になる。今もそのパワーは衰えを見せず、増幅の一途を辿っている。
然し、何事にも始めが有れば終わりが有る。お告げでは2015年10月31日で授かったパワーは消滅するらしい。と云うか御役目終了、卒業という事らしい。
卒業イコール寿命、死を意味していると理解しているが、もっと他の使命があるやも知れん。
何れにしても、その日が「GODフィンガー」の命日になる事は間違いなさそうだ。
と云う事は、俺らの命は後丸4年もあるという事だ。今生明死で生きて来た俺らにとって、未だ4年も寿命がある。4年も生かされているのなら、する事が、出来る事が幾つかある。
此のパワーの「ホンモノの天啓」を享ける人は、俺らの生きている間は現われない。
だが、修業に依って、訓練に依って、パワーを身に付けさせる事は出来る。人によって、そのパワーの強さに格差はあるが、人への想いが強ければ強い程、そのパワーは強くなる。天啓は享けられないが、人として、人への愛が深ければ深い程、そのパワーは発揮される。
自我欲の強い人には授ける事は出来ない。出来たとしても、その自我欲がパワーを悪用し、自身が不幸になる。地獄に落ちる。
故に、自我欲を削る所から修業は始まる。自然会会員を増やして、その中から育成し、立派な人格とパワーを備えた人を世に放出しなければならない。4年もあれば、可成りの人が育つであろう。楽しみである。
そして、此の4年で私の使命でもある、仮題「もう一つの戦争」を書き上げる。大作である。人は人と戦ってはならぬ。戦争を阻止するストッパーの役目となる、又、その一端を担うべく、此の作品に魂を注ぎ込まねばならぬ。
心ある人よ、俺らの指に、この指に止まれ。
「GODフィンガー」此処に在り!!
2011年09月07日
隆明の時事考現 33
間もなく東北大震災から半年になる。集団避難所から一時的住居に大半の人が移る事が出来た。やっと家族だけの部屋、生活空間が出来たのである。
全国の受け入れ先に散って行った人達は、見知らぬ土地での生活に戸惑い乍ら、不安の日々を送っている。一体、何時になったら故郷に戻る事が出来るのか……
二十年前の普賢岳災害は十年の才月を経て、完全復興宣言に至った。火砕流流域地帯は、噴火鎮静宣告が出来る迄の丸五年間、生家及びその一帯に立ち入る事も出来なかった。五年もの間、為す術もなかったのである。
やっと自分の家や土地に戻れた人達は、その荒れた瓦礫を前に茫然と立ち尽くした。
それから五年。復旧復興は目覚しい勢いで進み、大火砕流から十年、やっと元の生活に、否、災害前にも増して素晴らしい町造り、村造りに発展して行ったのである。人々は災害に依って、力強く逞しく再生したのである。
東北災害では原発洩れを抱えた福島が、島原の様に復旧が遅れるだろう。
放射線洩れが止まらない限り、住民は我が家に帰れない。故郷に帰れない。
何時か帰れる日が来た時、又、新たな絶望感に見舞われる。
荒れた土地と家、一体何処から手を着けたら良いのか……それでも、人はやがて復旧に向けて一歩一歩、歩み出す。どんなに荒れていても、矢張り生まれた土地、育った故郷が良いのだ。故郷を愛しているのだ。故郷が命なのである。
災害に依って土地や家、家族をも失った人の嘆き、悲しみ、絶望感は――その当事者しか分からない。測り知れるものではない。
「頑張れ、頑張れ」の声援や応援も、悲嘆にくれる人達にとって、却って絶望感を増す事もある。
「何を、どう頑張れと言うのだ、妻と子供を返してくれ…」と、独りぼっちになった夫が呟いた。
2011年08月10日
隆明の時事考現 32
全国的に猛暑の中、午前11時。66回目の慰霊と平和祈念の黙祷。
毎年此の日は悲しみを新たにするが、今日の被害者代表の言葉は淡々とした口調の中に、淡々であるが故に拝聴している者の胸を打つ。
83才のその人は、一瞬にして家族の殆どを亡くし、66年経った今も時は流れていない。
新しいモノへの探究心は時として最悪なモノをも作り出して了う。造ってはならないモノを創って了う。良識ある者でも凶器を持てば、それを使用したくなる誘惑にかられる。況(ま)してや狂気にそれを使わせれば、結果は明白。怖ろしい地獄絵図、大惨事が起きるのは間違いない。それを知っていて使用したる者、又容認したる者は悪魔である。それを作りたる者は、もっと悪い。
人間は反省の元、凶器を、そのエネルギーを有益に利用しようとした。人間の生活を豊かにする為に使用した。その怖ろしいエネルギーに真の安全等ある訳がない。必ず、その怖ろしい牙を剥(む)き出す時がやって来る。私も含め、色んな人がずーっとその事を警鐘して来たが、愚かなる指導者達は欲ボケな企業者達は、人命よりも利益優先、悲劇が現実になるまで止(や)めようとはしない。
そして、今放射線汚染は日本全土を覆い、世界をも襲おうとしている。
被害者代表、そして市長、知事の挨拶は(総理の言は言にあらず、問題外)、例年にも増して重く我々に伸(の)し掛かる。核廃絶の訴えは毎年であるが、夢のように儚く聞こえたものである。
だが、今年は福島の放射線洩れによって、全国民が被曝するやも知れぬという状況にあって、「核廃絶」の言葉は重く伸し掛かり、「実現」の二文字が決意となって、我々を実行の道へと導いて呉れた。
静かで、怒りや悲しみを抑え込んだ、淡々とした諸氏の挨拶……それは、これまでの記念日の集大成である。
来年の記念日は悲痛な叫びではなく、目に見えて平和になっていく日本にあって、御霊(みたま)に嬉しい報告の挨拶と、なるように――祈。
2011年07月29日
隆明の時事考現 31
人の多くは物を欲しがり、それが手に入れば嬉しくなる。幸福を感じる。そうするともっと欲しくなり、それが叶えば嬉しさが増し、幸福感も大きくなる。そうすると、もっともっと欲しくなる。それが物理的な成功であり、幸福であろう。つまり、物の多さ大きさが幸福の度合いをも示している。と信じ、思い込んでいる人が非常に多い。圧倒的に多い。
貧乏な境遇に生まれ、飢え、困窮の中で育った人は、その中から脱け出す為に一生懸命努力し、やがて物を得るようになる。嬉しくなる。幸福になる。
が、其処で止まれば良いが、その欲が益々募り、もっともっと、と暴走し出すと何(いず)れ障害にぶつかる事になる。障害が待ち受けているのだ。まして有頂天になっている人には必ずやって来る。奢(おごれ)る者久しからずである。
確かに物の多さは、大きさは人の心を豊かにする。有って邪魔になる物ではない。有れば心に余裕が出来る。然し、過ぎたるは及ばざるが如し。
有り過ぎれば、その多さにその大きさに、その重さに押し潰される。あまり貧乏が長いと「押し潰されても良いから、一度でも良いから裕福を味わい度い」と願う人もいる。だがそれが叶うと、二度と貧乏に戻りたくない、裕福にしがみつく。
そして障害が来ると地獄に堕ちる。生きて行けなくなる。始めから、ずーっと貧乏であれば、地獄は来ない。生きて行ける物が少し有れば、それで満足していればそれで幸福である。地獄はない。無縁である。
人は物を失くすと、不幸になる。失くした分だけ不幸になる。コツコツと努力して、やっと建てた家が一瞬にして消えたら、跡形もなく流失したら、どうだろう。誰が冷静でいられるだろう。終の栖と建てた立派な家を一瞬にして無くしたら…どんなにショックだろう。計り知れない。
物は失くせば失くす程不幸も大きいが、人を亡くすのは物の比ではない。
物は失くしても又得る事が出来る。失くす以前程求めなければ、必ず物は得られる。然し……
人は失くしたら――家族が亡くなったら、友が亡くなったら……
人は何時災害に遭い、何時死んでも不思議ではない。
だから物理ばかり追い掛けないで、大事な大事な人を大切にしなければならないのだ。そこにホントの愛が有る、幸福が在る。
2011年07月12日
隆明の時事考現 30
7月11日午後2時46分。大震災から丸4ヵ月……黙祷。
午前中に東北も梅雨が明け、今や茹(う)だる様な暑さに見舞われている。
3月11日の突然の大地震と悪魔の様な大津波。辛(かろ)うじて避難所に逃れた人達はどんなだったか……
恐怖に怯え、配給の一枚の毛布に包(くる)まっての飢えと寒さの日々……そして、今、梅雨が明け、猛暑が被災地を、避難所を襲う。この夏を被災地の人達は乗り切れるだろうか――。
一刻も早く避難所から一人残らず避難しなければ、次次と多くの犠牲者が出る。全員即刻退去の措置を取らなければ、体力も気力も弱った人達は病死し、自殺者も増えるだろう。
今迄の何倍もの、超超特急の仮設住宅設置は勿論だが、兎に角、今日中にも全員退去し、緊急避難しなければならない。
全国の自衛隊、警察の宿舎や施設、「かんぽ」や企業の保養施設、別荘、空家、マンションの空室等で未だ未だ提供出来る場所が有る。一時凌ぎでも何でも、即入居して貰うようにしなければ、悲劇は更に追い討ちを掛け、待っては呉れない。
政局だの政策だの法律だのと、我が身の保全に躍起になって、言う事が毎日コロコロと変わる政治を頼っていては、今に取り返しのつかない事になる。否、既になっている。
今、避難所として使用出来る場所があれば、その大小広狭に関わらず即入居して貰い、静養して貰わなければならない。今、一番大事な事は命を護る事だ。命を亡くしては義援金も意味がない。
全国各地で熱中症で倒れる人が続出し、死亡者も増えている。況(いわ)んや、被災地避難所に居る人達は既に限界を超えている。
今頃、復興計画や避難対策を、どうしようか等と議論や模索している政府は全く無能である。
国民が挙(こぞ)って動けば、手を伸ばせば直に、今日に明日にでも救う事が出来る。助ける事が出来る。
避難民、11万人を救え!!
2011年07月01日
隆明の時事考現 29
『ホント八百』 P49~抜粋4 1995(平成7年)
一途に走って来た50年。サリン無差別殺人事件は、その50年の集大成の結果の一つでもある。今、皆が反省する時に来ている。今、反省して、原爆によってスタートした50年にサリン事件を以(もっ)て終わりを遂げなければならない。そして新しい時代に突入するのだ。
それは解体という作業から始めなければならない。解体しなければ、新しい出発はない。未練たらしく、旧態依然と引き摺(ず)っていたら、益々腐って取り返しのつかない事になる。潔く捨てて、再出発しなければならない。心配しなくともホンモノは残る。
ホンモノであれば、再成は早い。前より素晴らしいものになる。生れ変わるのだ。それがホントの改革である。
継(つ)ぎ接(は)ぎの修繕は改革とは云わない。継ぎ接ぎをしていると、阪神大震災のように大きな犠牲を払う事になる。
新しい家は壊れてはいない。木造の古い、継ぎ接ぎの修繕を繰り返した家屋は全滅しているのだ。これを機に、新しい、丈夫な家が建つ。素晴らしい神戸が再誕する。災害と多くの人の犠牲によって再誕する。口惜しい事である。
今度の第三次大戦は、終わってから再誕という訳にはいかない。その犠牲は再生不能となる。それは誰でも予測出来る事である。
どうしたらストップをかける事が出来るか。それは簡単である。簡単であるが故に難しい。先ず我々が、今の時点で、一大反省をする事である。国民総反省である。
そして、今起きている天災・人災の犠牲を終局にして、自ら解体しなければならない。でなければ第三次大戦という、再起不能の大火傷(おおやけど)を味あわなければならない。もう、分からなければならない。今、分からなければ救われる道はない。
このまま破滅に向かう事は、毒入りだと分かって餅を食うようなものだ。
今、解体して心を新たにしなければ、破滅がやって来る。我々は自殺に向かって走っているようなものである。
※此の著から16年経った現在、どんどん私の怖れていた事が現実化している。天災人災が容赦なく地球を襲い、天の怒りを抑(おさ)える事が出来ない。今、被害を我が事として、身を粉にして働く人達が増えつつある。この輪が大きくなれば…もしかして
2011年06月29日
隆明の時事考現 28
ホント八百 P29~抜粋3-2
天災と人災がドッキングしながら、世界は混沌とし、阿修羅(あしゅら)の地獄と化す。今こそ、人は皆、我が事のみを考えず、全てを人任せにせず、皆で手をつなぎ助け合わなければならない。
「我が事のみ」という小っぽけな事に懸命になっても、何の意味もない事を、近い将来思い知らされる事になる。ホント。
阪神大震災は貧富の差を問わず、一瞬にしてあの大都会を裸にしてしまった。
皆、同じ立場になった。立ち直るのも、皆で協力しなければならない事を、天は教えて呉れているのである。そして、国中の、世界中の、温かい声援と支援と協力があってこそ、その復興は迅速(じんそく)に、且(か)つ、確実に成されていくのである。
私と私の仲間(コミュニティ倶楽部・自然会)は、普賢噴火の平成三年より島原に赴(おもむ)き、その復興のお手伝いを、今もしている。
当初の何ヵ月かは、今の阪神大震災と同じで、全国から沢山の人が見舞いやボランティアで駆け付けてくれたが、それはそれ、出来る範囲という事で、今では私達以外は誰一人として残ってはいない。勿論、自立復興が一番大切な事であるが、それを支え励ます、全国の人の温かい「愛」が必要なのである。明日は我が身である事を忘れないで欲しい。
災害の起きた時だけ熱心で、直ぐ忘れるのはいけない。「普賢」は終わったと、勝手に終わってはいけない。何も終わってはいない。それどころか、益々酷くなっているのである。
完全復興するまで励まし、又、我が身として、尽力してこそ本当の愛と云えるのである。
気紛れの愛ならしない方が良い。浅い愛なら初めからしない方が良い。しても良いが、「やった、やった」と自慢をするな。気分良くなるな。自分が思ってる程、役には立ってない。
2011年06月28日
隆明の時事考現 27
3月11日の被災から100日が過ぎた。
被災の実態をTV各局や様々な媒体が、克明に仔細に、国中に世界中に毎日報らせて呉れる。
家族を津波に浚(さら)われ、未だに行方が知れず、瓦礫の前で途方に暮れる人、避難所で体の不自由さと、前の見えない不安に怯える人…の心情が伝わって来る中、復興に向けて立ち上がろうとする、様々な姿もTVに映し出される。
自衛隊や全国からの派遣警官の、献身的な働き、愛情溢れる沢山のボランティアの活躍……。
又、一方では瓦礫を漁(あさ)り、金品を盗んでいく輩、募金と偽り国民から詐取する、人間にあるまじき、獣も出没する。
災害は、種々様々な人間を浮彫にする。
災害は、被災者も支援者も、無関心な人の心をも露(あらわ)に具現する。それぞれの立場で、それぞれの思惑で、その正体が明らかになる。胡魔化(ごまか)す事の出来ない実体が現れる。
16年前の私著が、正に今を語っている。
『ホント八百』 P29~抜粋3
普賢岳災害は犠牲者のみならず、島原地方全体の機能を破壊し、今尚、住民は噴火の止まない麓(ふもと)で恐怖と困窮の極に立たされている。阪神大震災は、物心共に国家的規模で大打撃を蒙(こうむ)り、その対応にモタモタしてる最中の、追い討を掛けるようなサリンの無差別殺人……。戦後の政治、経済、宗教、教育、道徳の過ちのツケが、ドッと襲って来ているのである。そして、世界のあちこちで、狂気が凶器になって大混乱を起こしつつある。今や、世界の、地球の一大危機に突入しているのである。 今こそ、人類全体が人間性を取り戻さねばならない時に来ている。 で、なければ間違いなく破滅がやって来る。ホント。 つづく。 |
2011年06月24日
隆明の時事考現 26
『ホント八百』 P25~抜粋2 無数の犠牲と、無数の死人を出して戦争は終結し、虚しさを知る。得るものが何もない事を知る。そして、その悲劇が喉元を過ぎると、又、闘争心が湧いて来る。 一握りの悪魔が、喜々として様子を伺っている。何も起きなければ、自ら仕掛けてでも戦争を起こそうとする。世界戦争は、何時の世も、そんな悪魔によって容易に起こされる。たった二・三人の病人の陰謀によって、引き起こされるのである。重い病に罹(かか)った一握りの人間に、健康な国全体が牛耳られ、破壊される。この繰り返しの人間界に、今こそ、ストップをかけなければならない。今、かけなければ恐ろしい事になる。我々一人一人がストッパーにならなければ、間に合わない。行政に任せていては間に合わない。今度ばかりは後で信号機を付ける訳にはいかない。 天災・人災を含め、世界は猛烈な勢いで破滅に向かって突き進んでいるのである。今や誰もが予感し、危機感を持っている筈であるが、「未だ先だろう」「ここは大丈夫だから」「私は大丈夫だろう」と、タカをくくっている諸君。「対岸の火事の積もりでいると、或る日、それも限りなく近い将来、今日、今かも知れない。明日かも知れない、貴方の身に降りかかるのである。 昨今、終末論が囁かれているが、ノストラダムスでなくとも、誰でも予測のつく事である。全ては当然の結果で、不思議な事は何一つない。 我を張り通せば、喧嘩になる。無理をして働けば、過労で倒れる。マイナーに生きれば病気になる。自分の事だけ考えれば孤立する。 自然を破壊すれば、自然(天)の逆襲に遭う。逆も又、然り。 |
此の本を著した1995年は1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件と天災と人災が相次ぎ、日本は大混乱。その4年前の普賢岳も復興どころか災害は続いており、相次ぐその後の災害は、現在の新燃岳、東北に到る迄、止どまる所を知らない。日本は……世界は……地球は……人間は……
2011年06月13日
隆明の時事考現 25
25. 法律には犠牲者が不可欠である
大地震と津波が原発の爆発をも惹(ひ)き起こし、天災と人災の恐ろしさを認識するのに、どうして、こうも大きな犠牲を払わなければならないのか……
欧州各国で原発廃止運動が高まっている中、何故、唯一の被爆国であり、今また大惨事に遭っている、我が日本国が大人しいのか、静かなのか……どうも分からない。全国的な大運動になっても全然可笑しくないのに……
この侭(まま)だと、もっともっと大規模な、地球壊滅へと向かう事になる。
私著『ホント八百』(平成7年9月刊行)、今から16年前の一節にこう書いている。
『ホント八百』 P.25~抜粋1
法律と云えば、人間の造る法律は尊い犠牲の上に成立する。必ず、犠牲者が出てから問題になり、討議され決議され、決定する。先を予測して成立する事は殆どない。尊い犠牲の、人柱の上に成り立っている。
行政の遅さも同じである。
「この道路は危ない、その内事故が起きるぞ」と、以前から声が上がり、問題になっていても何も為(な)されない。ところが事故が起きると、「あっ」という間に信号機が付き、歩道が敷かれる。犠牲者が不可欠なのである。根本的に間違っている。そんな政治家を育てたのは誰だ? そんな政治家を選んだのは誰だ?
誰でもない、我々である。我々庶民なんだよ、ホント。我々は被害者であり、その実、加害者なのである。
つづく。
2011年05月30日
隆明の時事考現 24
「天災は忘れた頃に襲(や)って来る」と、的を射た名言があるが、正にその通りだった時代は、二十年前の普賢岳以前の事である。
この二十年は忘れる暇もなく、後から後から覆(おお)い被(かぶ)さって、人災も加わり容赦なく襲って来る。次から次とエスカレートして襲って来る災害に、必死で対処している中、もっと大きな災害が襲って来る。
天災は忘れる暇もなく襲って来て、眼の前の新しい災害に右往左往している中、前の、その前の災害も復興していないのに、忘れて了う。故に、どの災害も中途半端で、完全復興には恐ろしく時間が掛かる。
支援する方も、新しい方新しい方へと関心が移り、前の、その前の支援は、気になりつつも離れていく事になる。
だから、被災者も何時までも支援や応援に頼っていてはならない。
「最近、めっきりボランティアが減った、薄情なものだ」と、ぼやく被災者が結構いる。とんでもない馬鹿者である。援助して貰う事に慣れ、支援される事が当り前になり、
「もっともっと」と、欲張りな甘えや注文をするようになった被災者に、その醜(みにく)くなった心に、私はどれ程叱ったか、どれ程怒ったか。
貧して貪(どん)してはならない。家屋の崩壊は心をも崩壊する。
始めは全国からの支援で駆け付けて呉れた、ボランティアに涙、涙の感謝をしていた人達も、月日の経つ中に心も被災し、醜くなっていく。
何時までも支援に頼ってはならない。復興は当事者自身、自分達で力を合わせ、自立の精神で立ち上がらねばならない。
復興支援は、ショックで茫然としている間の事で、我を取り戻し、現実に立ち向かえる状態になる、その何ヵ月かが必要であって、何時までも頼ってはいかん。次から次と起きる災害に――
「私達の所はもう良いです。これからは自分達で頑張ります。どうぞ、今起きている被災地に行って上げて下さい」と言って呉れる被災者。
「もう、我々を見捨てるか」と言う被災者。
人間、大きな出来事に出会うと、成長する人と後退する人に――大きく岐れる。その人の本性が露(あらわ)れる。
何故、島原復興が十年も掛かったのか……だ。
2011年05月27日
隆明の時事考現 23
今我々は何をすべきか……。今、私に何が出来るのか……。
そんな事を考えている中は、何も出来ない。何も出来ないから考えている。
他人事だから、同情しているのである。自分事だったら同情はしない。
「同情するなら金を呉れ!」という、強烈な正直な言葉がTVドラマの台詞として発せられ、その衝撃は流行になった。
被災者の多くは家も家族も職も失い、避難所で為す術もなく悲嘆に暮れているのである。
「頑張れ頑張れ」と手紙で励ましても、一体何を頑張るのか……。
同情は被災者にとって却って迷惑であり、みじめでもある。悲嘆を増す事にもなりかねない、「同情するより金を呉れ!」である。
ホントに人が好きならば、ホントに人を愛しているならば、考える頭は要らない。必要ない。邪魔である。行動は唯一つ。
人は愛し愛され、幸福に生活し、生き続けなければならない。人類は皆兄弟であり、家族である。地球という大家族である。家族が困っていれば助けるのが当り前である。扶け合うのが当然である。
何をすべきか、なんて寝言を言ってる場合ではない。災い転じて福と成す。こんな時こそ人類は成長するチャンスである。
自己中心で、人を助け慣れていない人でも、明日は我が身と目覚め、慣れない援助支援活動を始めている。
震災、水害に遭った時から、被災者、支援者は良きも悪しきも時と共に変化して行く。「この先どうなるのか」と云う不安に駆られ乍ら、それでも人は一歩一歩進む。
私と私の仲間が復興を遂げた雲仙島原の十年を、都度都度の障害にどう対処したかを、其処に身を置き乍ら詳細(つぶさ)に見て来た。
失敗も色々あった。その経験の反省から、そんな中から生まれたノウハウが、後々の奥尻や阪神や新潟の試練を経て、今、正に現実に東北震災、原発被災に生かし、活かされる。
復興成就に向けて、腹を据えて掛からねば――。










